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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第8回(2005/5/12 更新) →最初から読む
8. 『黒須先生』の巻
いい加減にやって落ちたんじゃない分、17日に落ちたことは、さすがにショックだった。
〈24日の今度の練習日に、また受けられるかな。でも、これだけやって受からなかったんだから、やっぱり無理かな〉
そんな事を考え出すと、集中して楽譜を見られなかった。また落ちるかもしれないという不安が、頭から離れない。
〈自分じゃやっていたつもりだった。きちんと歌っていたのに。きっと近藤先生、虫のいどころが悪かったんだ。後の方の人には甘かったらしいし〉
そう思って、自分を慰めた。だけどどんなに慰めたって現実は変わらない。
18日は、朝っぱらからモンモンとしていた。練習しなけりゃと思いつつ、また落ちたらきっと傷つくだろうなと思うと、臆病になり、やる気がどんどんなくなってくる。そのやる気がなくなるのと裏腹に、ヒットラーグンジと近藤先生に対する苛立ちがつのった。
〈2月が本番で今オーディションするんならわかるけど、あと一ヶ月しかないのに、オーディションしてどうするのよ。どうやって全体練習するつもりよ。お金返してくれなくていいから、今まで使った時間と労力を返してよ〉
どうしてもオーディションに受からなかった人たちに、ヒットラーグンジが諦めなさいと言っている光景を思い浮かべた。
副会長と兄が心配して練習場の外で待っている。
「下手な人をステージにのせるわけにはいかない」
というヒットラーの厳しい声。ゆきお君に、失意のどん底で電話をかけている自分。
〈暗くて、辛くて、苦しくて、誰が二度と合唱なんてやるものか。もう、決してやらない。もうやめたい〉
煎餅をバリバリとやけ食いしながら、にが虫をかみつぶしたような顔をして、私はホカホカカーペットの上にゴロゴロとマグロのように転がった。
しかし、いくら転がっても、いっこうに気持ちはさえない。あまり気持ちが落ち込むので、チロをひきつれて、散歩に出た。川べりの道をノコノコ歩いていた時、フッとS氏の言葉を思い出した。
「僕から盗んでください」
〈馬鹿いっちゃいけないわ。プロから盗めるようなら、演奏会に行けばうまくなるってことじゃない。冗談じゃないわよ、人がやるのと自分でやるのは、大違いよ。だから教わりにきているんじゃない。あの人、頭悪いんじゃないの?
音が下がらないようにって言うだけだったら、私にだってできるわよ。どうしたら、音が下がらないで出せるのかを教えてくれなけりゃだめじゃないの。あんたがもっときっちり教えといてくれたら、私は今、こんなにヒットラーにいじめられなくてすんだんだわ。なんなのよ、あの人大嫌いよ〉
自分だって9月から10月まで、音をとるなりリズム読みをするなりの努力はできたのに、できることをまったくしなかったくせして、自分の落ち度はみじんも考えない。
ただオーディションに落とされたショックと、行き場のない怒りで、川べりの石を拾い上げると、思いきり川にたたきこんだ。水が跳ね上がる。チロは、飼い主の乱心におびえたような目をしていた。
でも、歌えないのだ。自分の体一つ満足に、思ったように使えないのだ。これが他の楽器だったら、ここまでイライラはしなかったろう。自分の体、自分の喉、自分の声という忠実なしもべであるはずのものが、自分の命令通りに動かないというのは大きな発見であり、驚きだった。
歌えない。これは事実だった。苦しいが、受け入れなければいけないものだった。でも、一般的に人は自分に都合の悪い事実は、受け入れたくないものである。私は一般的な人間であったし、もちろん聖人君子ではなかったから、その現実を受け入れることはできなかった。
〈ヒットラーも嫌い。あいつは意地悪な変人だわ。近藤先生も嫌い。やたら厳しくして、初心者にわざと意地悪して、逃げ出すのを待っているんだわ。みんな嫌い。合唱なんて大嫌い〉
散々激怒しながら歩いた私は、フッとゆきお君のことが頭に思い浮かんだ。
「どうしよう、ゆきお君」
私の不安は、頂点に達していた。犬の散歩をしながら、あれやこれやと考えた末、とうとう正直にオーディションは通らないから、もしかしたら舞台にのれないかもしれないということを、ゆきお君に白状することにした。
10月28日以来、見栄に押されて不安な思いをしてきたが、もうこれ以上、不安でいることには耐えられなかったのだ。
いいかっこしたい。好きな人に良いところを見せたいというのは、万国共通の自然な人間の心理だと思うが、ほどほどにしておかないと、ひどいプレッシャーと不安感に苦しむという人生の真理を、実体験を通して体得してしまったのであった。
帰宅してしばらく、ああでもないこうでもないと考えていたが、観念してゆきお君に電話をかけた。社内情報発表会の懇親会にも収穫祭にもこなかったゆきお君は、週5日、英会話を習っていた。
ゆきお君は海外部だから、英語習得は不可欠だった。でも会社のお金で通う英会話学校だったから、とてもプレッシャーが大きい。しかも同期のもう一人の人も同じ英会話学校に通っていて、その人の方が、上のクラスにいるそうだ。
もうすぐ進級テストだそうで、ゆきお君は、上のクラスに上がれるかはわからないのだそうだ。懇親会にも収穫祭にもこなかったゆきお君は、英会話学校に通っていたのだった。
ヒットラーとは対照的な、優しくて深みのある落ち着いた声で、ゆきお君が言う。
「やるだけやってだめなら仕方無いでしょ。やらないで落ちたら後悔するけど。僕は落ちそうなんだ。でもクラスは、若い奴ばかりで、楽しいですよ」
淡々と話す、ゆきお君の声。
そう、ゆきお君ってこういう人なんだ。真っ直ぐで素直で誠実で真面目で、その真面目さに悲壮感がなくて、あまり目立たないんだけれど、自分の人生を明るく誠実にかっこつけずに生きている。たきたてのホカホカ御飯みたいな人なんだ。
だからひかれたんだ。顔も体型も小泉さんとはおよそ逆なのに、この人のこういうところが、とても魅力があったんだ。自分の良い面も悪い面も合わせて、正直に誠実に生きていける生に対する絶対的な信頼感、私がひかれた彼の魅力って、こういうところだったのだ。社会的には良い家庭という形で通っていながら、実際は冷えきっていて、家族なんていうのは形式だけになってしまっていた家で育った私には、生に対する絶対的な信頼感を持つことなどできなかった。失敗は、ただの失敗ではなかった。自己の存在自身をゆるがすものだった。だから、なんでだかしらないけれど、心の磁石が引き合うみたいに惹かれる人だったのだ。
2回目のオーディションにも落ちて、もうやめてしまおうかと思っていた私は、改めてゆきお君の素晴らしさを感じ、そして甘えている自分をちょっぴりはずかしいと思った。
「あんまりプレッシャーを感じないで。だめならその時、それでいいじゃない」
ゆきお君の声は、ヒットラーグンジのせいでカチンカチンに凍りついた心の氷を優しく解かす、春の陽射しのようだった。
11月19日月曜日、会社で、オーディションのことを怖い怖いと騒いでいたため、課の人達だけでなく、他の課の人たちまでもが、オーディションのことを気にかけてくれていた。会社で落ち込みつつオーディションに落ちたことを報告すると、結構同情が集まった。
「そりゃあ、落とすなんてとんでもない指揮者団だ。歌えていたのに、きっと虫のいどころが悪かったんだよ」
と言ってくれる人もいた。近藤先生は厳しいから、ヒットラーグンジのところに受けにいけと助言してくれる人もいた。
まだ舞台にのれることも決まってないのに、黒いスカートまで貸してくれたパートのおばさんは、近藤さんってとんでもない人ねと、まるで自分のことのように憤慨してくれ、絶対に次は通るわよと、応援してくれた。
管理職も含めて、ヒットラーグンジの顔も知らない課の人達が、彼についていろいろ分析してくれた。結論として、もっとグンジに愛嬌をふりまけ、ごまをすりにいけ、そでの下を渡せなどの対策方法を提言してくれた。
まだやっと水に顔をつけて、目をあけることができるようになった子供が、いきなりオリンピック選手養成講座にたたき込まれたような気がするとつぶやくと、だいたい素人で作っているアマチュア合唱団なのに、無理な要求を出すなんて、社会性のないわがままな音楽家の考えそうなことだと、ヒットラーグンジのことをあきれてくれた。
同情とは、傷ついた心には麻酔のような効果を生み出すが、一方でなんとなく悲劇のヒロインになって、自己満足という空にどんどん舞い上がらせるという一面も持つ。
「ヒットラーグンジなんて大風邪でもひいて、寝込んでしまえ。ロケットにつけて遠い星に飛ばして、誰もいない星で、一人第九を歌っていればいいんだ」
私の言葉に、同僚たちは、そうだそうだと同意してくれた。
「絶対彼氏にしたくないタイプですね」
仕事をしながらグンジのことをやたらこぼす私に、後輩のハリガヤが言う。
いきなり10月の終わりになって、オーディションするだの言い出したり、荒々しい怒声で人格をまるで無視するようなことを言ったり、こんな奴が彼氏だったら、毎日針のむしろにすわらされているような気がするだろう。感性なんてものは、何一つ持ち合わせていない反社会的分子だ。
「うん、そうね。その通り」
そう答えながらも、自分の言葉に納得していなかった。
絶対に彼氏にはしたくないタイプだ。大声で怒鳴って、喜怒哀楽を露骨に表面に出す。もっとも私が嫌いなタイプの人間。いい年して、子供みたいにわがままな、とっつぁんぼうや。でも、こんなに嫌いなのに、ふに落ちないのだ。
ヒットラーグンジを見ているとき、決まって彼から受ける電波のようなものがあった。
「お前、逃げてないか?」
ヒットラーを見ていると、そう言われているような気がするのだ。およそ社会生活の中でうまく順応していくタイプじゃない。波風ばっかり立てて、浮き沈みの多い人生を送るタイプだろう。だが、あの底力のある生命力に、圧倒されるのだ。他の人がまねできない、おそらくこの世の中で、前にも後にもヒットラーしか持っていないものがあって、それが私をとらえて離さないのだ。
「逃げるなよ」
ヒットラーグンジがいるだけで、そう言われているように思えるのだ。会えない日が続くとゆきお君のことを、やっぱり安全ぱいにしてしまった方が楽だけれども、もうゆきお君のことは、あきらめちゃおうかなと弱気になると、だいたい週末になってヒットラーグンジに会えるのである。ヒットラーのエネルギーに圧倒されながら、今一番大切にしたいと思っている人がこの人ならば、この人を大切にしなけりゃと思い直して、ゆきお君のところに電話をかけるのだった。
結局モンモンとした一日を過ごした私は、その日は、まったく練習をしなかった。心のどこかでは、とにかくやらなけりゃと思いつつ、それでももう傷つきたくないと思う。二つの気持ちが、心の中でにらめっこをしていた。
11月20日火曜日、ピアニカを持参していたが、先週よりもずっと暗い、北国の冬の空のような、どんよりと曇った顔つきでボーとしていたら、あまりの落ち込みように、このままでは業務に支障をきたすと思ったらしく、会社の先輩も後輩も同期も、最後は管理職までがフォローに回ってくれた。
「別にたかが合唱じゃないか、これに落ちたからって、給料が減るわけじゃない、友達を失うわけじゃない。いちじるしく社会的な名誉を傷つけられるわけじゃない。そんなに落ち込むことはないよ。たまたま悪い指導者に当たったんだよ。だめなら来年があるじゃないか」
みなの慰めの言葉に、力なく笑顔を作り、ワープロを打つ私は、もう決して、二度と合唱なんかやらないと心に堅く誓った。暗く、辛く、苦しい合唱なんて、こんりんざい決してやるものかと。
ヒットラーグンジに対する愚痴に、みんな同意して聞いてくれたのだが、一人だけ同意してくれない人がいた。
黒須先生だ。黒須先生は、毎週火、木曜日の週2回、私に編み物を教えてくださっていた。私の子供の頃の夢は編み物の先生になることだったので、先生のところに通っていた。
黒須先生のお嬢さんは、音楽の先生だったので、今度合唱を始めましたと言うと、すぐ、
「第九でしょう。うちの子も、今年浅草で歌うのよ」
とおっしゃった。
「鉛筆を持ってこない人をぶつなんて、野蛮ですよね」
私が、当然同意してもらえるものと思いつつ言うと、いつもニコニコしていらっしゃる先生が、真面目な顔でおっしゃった。
「それは、当たり前のことをしなかった、その人の方が悪いわね」
先生は、ヒットラーグンジのあの野蛮な行為を否定なさらなかった。
「だって大人の女性をぶったんですよ」
私は少し驚いて言うと、先生はニッコリ笑っておっしゃった。
「大人だからよ。大人は、勝手なことばかりするから。子供は言われた通りにするけどね。もし編み物を習うのに、針を持ってこなかったら、それは、やる気がないものだと思われても仕方無いでしょ。習うということは、そういうことなの。先生から歌を習うのなら、1回聞いただけじゃ、覚えられないし、できないでしょう。編み物のように製図があって、その通りに編んでいけばいいというものではないし。ならメモとペンを持っていくことは、最低限当たり前のことなのよ。自分勝手にやっていたのでは、人からものを習うことはできないのよ」
たしかに、編み物をやるのに、針や筆記用具を持ってこない奴は、大バカ者である。
「叱られる人たちは、先生が言われたこと以外のことをやっているんじゃないの?」
先生はニコニコしながらおっしゃった。
たしかに、楽譜を見るなと言っているのに見たり、スペルを書けと言っているのにかかなかったり、ヒットラーグンジの指示した以外のことをした人には、特に厳しい。
「ただ人に見せるだけならかまわないけれど、お金を取って人に聞かせるためには、いい加減な気持ちじゃいけないわ。郡司先生には、責任というものがおありになるのよ。前の助人の先生が甘かったのよ。だから、よけいに厳しくなるのよ。でもね、もし目立つ人がいて、その人が叱られていても、それは、みんなに言っているのよ。その人が、ただ目立つだけで」
ヒットラーグンジは、よく「みんな、同じですからね」と言った。黒須先生は、ヒットラーと同じことを言う。
「先生も、お金をもらって指導するからには、きちんとやろうと思っていらっしゃるのよ。もし叱られたのだったら、その場で直していこうとすればいいのよ。それを直しもしないで勝手にやっていれば、郡司先生が腹を立てられるのは、当たり前のことでしょう。しつけをしてくださっているのよ。学ぶということなの。あなたはそういったしつけを、あまり受けることがなかったから、驚いてしまったのよ。郡司先生の気持ちを理解することなく、ただ怒鳴ると思っているから、怖いという気持ちが先に立ってしまうのよ。そういう心は、体にも出るものよ。郡司先生は、あなたが怖がっていることを、よくわかっていらっしゃると思うわ。顔なんか、引きつってしまっているでしょうし、出る声も出なくなるでしょう」
先生は、まるで練習風景を見たことがあるみたいに、私の行動はすべてお見通しだ。しゅんとしてしまった私を優しそうに見て、先生はおっしゃった。
「せっかくここまできたのだから、最後までやりとげなさい。火曜日のお稽古は休んでもいいから、合唱はおやりなさい。なんでも同じなのよ。ちょっと辛いからやめたぁと言っていては、なにも身につかないのよ」
黒須先生は、とても厳しい先生だ。編み物に関しては、妥協は一切なさらない。一目違っても、ほどいてやり直しをさせられる。その熱心さについていけず、どんどん生徒がやめ、一時は私と先生のマンツーマン指導を受けたこともあった。でも先生の御指導を受けてから私の作品のレベルは、目に見えるはやさで上達した。
あまり器用でない私は、それこそ一作品を仕上げるのに、5回も6回も編み直しをする。
あんまりほどくことが多いので、
「編み直し!」
と、言う先生の言葉なんて何とも思わず、平常心で作品をほどけるようになっていたが、まったくの素人さんでは、編み直しが2、3回続くと、パタッとお稽古にこなくなってしまう人もいた。
最初からじょうずにできる人なんて、少ないのにと思うが、
「あの先生怖いからいや!」
と言ってやめていってしまう。
パッとやってサッと仕上げてなんて、始めてやる人にできるわけないのに。
帰宅途中の電車の中で、黒須先生の言葉を思い返してみた。
〈黒須先生とヒットラーグンジが同じことを言っているのだったら、ヒットラーは悪い奴じゃないってことになる。もしそうだとしたら、今の私って、あのやめていった子たちと同じ気持ちでいるのかもしれないな。結果をあせるからいやになっちゃうのかも。一日5回練習して、それ以外は、生活をもとのペースにもどそう〉
京浜東北線の中で悟りを開いた私は、会社ピアニカ持参通勤をやめた。昼休みのウォークマンを使っての練習もやめた。そして、いつも昼休みにやっている、会社のパソコンを無断使用してのテレビゲームをまた再開させた。
テレビゲーム仲間は、おじさんばかりだった。おじさんにまじってテレビゲームをする女子社員なんて、私と佐智子とハリガヤくらいのものだった。
ひさびさにやるテレビゲームは新鮮で、白熱したゲームが展開された。だが、やはり心の中にオーディションのことがひっかかり、ハァと大きなためいきをするので、とうとう一緒にやっていた同僚が、どうしても受からなかったら、ケーキをおごってやるから、そんなに落ち込むなと言ってくれた。
受かったら酒、落ちたらケーキ。どちらも私の得意とする分野だ。
プライベートでは、今年の夏に行った北アルプスの山紀行の執筆と、製図作成からの完全オリジナルニットの作製にとりかかった。
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