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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第10回(2005/5/26 更新) →最初から読む
10. 『美しい人』の巻
26日の朝、私は早出で7時半に会社に入り、飼育室で仕事をしていたので、他の人達と顔をあわせなかった。喉元過ぎれば暑さを忘れるとは、よく言ったもので、オーディションに落ちたときは、会社中で大騒ぎしたくせに、受かってしまうとケロッとしてしまい、まわりの人達が気を使っていたことすら忘れてしまっていた。
飼育室から出ると、上司が目をあわせないようにしながら、
「あの問題は、どうなった?」
と聞いてきた。
「ああ、受かりました」
と答えると、
「そうか」
と、ホッとしたような顔をした。どうやら、爆弾でも抱えているような気持ちにさせられていたらしい。
他の人達も、私が何も言わないので、こりゃまた落ちたのだと思ったらしい。私には直接聞かず、ハリガヤのところにいって、情報を仕入れようとした人もいた。受かったことが判明すると、みな、一様にホッとした表情を浮かべた。佐智子は、飲みに連れていってくれて、大好きなハーパーをたらふく飲ませてくれた。
散々飲んで、ついでに屋台のラーメン屋でラーメンを食べて、帰りの電車に乗ると、そういえば明日が練習日である。
〈ああ、明日は、ヒットラーと会えるんだ〉
わけもなく笑顔になる。ヒットラーに会えると思うと、やけに嬉しいのだ。ヒットラーの指導を受けられると思うと、頑張ろうと思っているのだ。
〈オーディションに受かったから、ヒットラーグンジを好きになったのかな。調子いいな、私は〉
苦笑しながら、帰路を急いだ。
11月27日の練習には、少し遅れての参加になった。埼玉の奥地にある会社から、ダッシュをかけて都心の神田パンセまで行っても、とても6時半にはつけないのだ。
この頃の練習になると、団員全体にも熱が入り、遅れていったりすれば、もうすわるところもない。団員が円形に立ち、ヒットラーは、その中央に立って指導する。
ヒットラーの指導の大半が、音楽的なことになりはじめた。
相変わらずアルトには、音が低いだのなんだのと、集中爆撃がくるものの、以前とは比較にならないほどの小爆弾だ。
「ベートーヴェンは音楽革命をやったんだ」
「コンピューターみたいに歌うんだったら、意味がないぞ」
「喉から出す声じゃ使えないんだよ、出そうとする音の一枚上の音を出すんだ」
ヒットラーグンジの言葉が、一つ一つ胸に響く。ヒットラーが望んでいるように歌えたら、どれだけ満足できるだろう。悔しいけれど、ヒットラーグンジの指示の一割すら、私にはできないのだ。
「歌は、人のために歌うものだ、自分は、自分の声を聞くことはできないのだから」
〈そうだ、ゆきお君、彼のために、この練習を耐えてきたんだ。彼のために歌うんだ。ここで負けてなるものか。少しでもいいから前に出よう〉
団員にヒットラーのエネルギーが伝わりはじめる。一人一人の持っているエネルギーが、少しずつ前に出はじめる。
もっと高く、もっと前に、もっとエネルギッシュに・・・。
何もかも忘れて、会社での人間関係も、仕事の上でのトラブルも、恋愛に対する不安も、家庭内のゴタゴタも、すべて忘れて、ただ創造性のあることのために精一杯自分を打ち込んでいくということの、言葉であらわせない充実感と無限の広がりに抱かれた安心感は、深い喜びを与えてくれる。
〈合唱って、何て創造性豊かなものなんだろう〉
歌い終った時、自分の現実は何もかわらないのに、心の中にろうそくの光のような、小さな光がついたように、ほのかに暖かくなっている。
練習中、たまに見せるヒットラーグンジの笑顔は、とびきり可愛らしかった。見ていると、思わずこちらまで微笑みが出てしまうほどだ。その瞬間だけは、ゆきお君よりも好きになってしまうほど、輝いている。見惚れてしまう美しさだ。
私の目は、練習中にヒットラーグンジに釘付けになった。絶対に目を離したくないのだ。まばたきするのも惜しいくらい、ヒットラーは内から込み上げてくる輝きに満ちていた。
(誤解のないように付け加えておくが、ヒットラーが輝くのは、練習の時だけで、それ以外では、島田洋七によく似た、やたら声にドスがきく普通のおじさんであり、ゆきお君と比べりゃ、ただの人だった)
だんだん団員全体が盛り上がってくる。
ヒットラーは、少年みたいな目をする。タカのように激しい目だ。でもとびきり透明感がある表情をしている。
〈お願い、時間よ過ぎないで。このまま歌っていたい〉
ヒットラーを、一瞬でも長く見つめていたかった。
ヒットラーは、美しかった。吸い寄せられるエネルギー。力強い感情が、体全体から発散されている。そのパワーが、まぶしい光となって、練習場全体に広がっている。その力強いエネルギーが、体に伝わってくる。
〈なんて、きれいな人なんだろう〉
私の目は、散大した。ヒットラーの姿を焼き付けるため、目が皿のように開いた。
練習が終わった。あっという間だった。
心の中が、ホカホカする。
〈なんだってこんなにおびえていたんだろう。どうしてそんな無駄なことに、エネルギーと時間を注ぎ込んだんだろう。おびえる前に、この人をもっとよく見ていれば、この人が何を言いたいのか考えていたら、このきれいな人から、もっともっと、いろいろなことが吸収できたのに。もっと盗めたのに。やっぱり私って、大バカ者だわ〉
練習終了後、イスを片付けながら、ヒョイと目を上げると、ヒットラーグンジと目が合った。そこにいるのは、ヒグマでもサソリでもガラガラヘビでもない。ごく普通の40代の男の人だった。
〈私はヒットラーのことが、好きなのかしら?〉
帰りの電車の中で、私は自分の心理状態の洞察を始めた。
よくよく考えてみると、ずいぶん前からヒットラーグンジのことを嫌いでなくなっていたようである事実が、ボロボロ思い浮かんだ。
たしか練習日の前日は、毎日トリートメントをしていた。これは、小泉さんのコンサートの前に、私が必ず行った儀式である。
17日に、ソプラノの女の子が、ヒットラーと楽しそうに友達言葉で話しているのを見かけたとき、心のすみで、ほんの少しうらやましいなと思っていた。あの時も、ヒットラーグンジは、恐ろしい存在であったけれども、やっぱり私には、あの力強いエネルギーが、とてもまぶしかったのだ。
野菊を見てヒットラーを思い出したり、頼まれてもいないのに、ヒットラーの声のことで一人で心を痛めたり。
いやよいやよも好きのうちとは、よくいったもので、よくよく考えれば、私はヒットラーが好きだったのだ。
小泉さんが、大好きなくせに、今は小泉さんよりも、ヒットラーグンジの方が百倍も二百倍も好きになっている自分がそこにいる。
私はスケジュール表を開いた。
あと三回しかないのだ。ヒットラーの指導は、あと三回だ。それが終ったら、もうこれっきりヒットラーとは会えなくなるのだと思うと、たまらなく切ない。まるで恋人と会えなくなるかのように寂しい。
ヒットラーがいたから、ここまで来ることができたのだ。ヒットラーグンジがいなかったら、ゆきお君のことは、あきらめていただろう。
〈ヒットラーと会えなくなっても、ゆきお君に連絡をとり続けることができるかしら〉
なんとなく自信がなかった。
認めてしまえばなんてこたぁない、私はヒットラーグンジのことが大好きだったのだ。恐怖心と不安におびえながらも、強烈にひかれていたのである。
娘心というものは、このように一筋縄ではないのだが、いったん一筋縄になると、あとはもう、好きで好きでしょうがないのである。世の殿方は、このあたりの女性心理を理解なさって行動すると、仕事なり恋愛なりが、よりスムーズに進行するかもしれない。
11月29日、編み物のお稽古中に、どうもリズムに弱いと愚痴っていた私に、黒須先生がメトロノームを貸して下さると言う。次の日、もう師走になるというのに、ノコノコやってきた大ボケ台風28号が上陸し、土砂降りの雨が降る中、先生宅までメトロノームをとりにいった。
黒須先生の娘さんは、合唱団で旦那様を見つけたんだそうで、
「なにか良い御縁があるかもよ」
と、ワクワクしながらおっしゃった。
冗談ではない。あのヒットラーの練習中に、彼氏なんて探している余裕なんてあるわけがない。先生だって、あの練習風景を御覧になれば、おわかりになるはずだ。それに、なんといっても、私は硬派だ。
「いやぁ、そんなことはないですよ」
と言うと、
「いいえ、わかりませんよ。良い御縁というのは、どこにあるかわからないんです」
と、きっぱりとおっしゃる。
先生は還暦を過ぎているくせして、時折15,6歳の小娘みたいな若い考え方をして、私を驚かせてくださる。
だが、せっかく黒須先生がメトロノームを貸してくださったにもかかわらず、オーディション合格後は、気が抜けてしまって、ちっとも練習をしなくなっていた。
12月1日土曜日、さぁ、今日もヒットラーに会えると、ウキウキしながら神田パンセに行くと、ホールの取り忘れで、全体練習ができなかった。
女性は15人ずつにわかれての、20分程度のレッスンだけで、今日は終了だった。
〈エッ、ヒットラーの練習が受けれないの?〉
そう思うと、たいそう残念だった。
帰ろうかなと思ったが、兄が遅れてくるので、待っていた。
アルトは近藤先生のレッスンだ。練習中、二人ずつ組まされて歌わされたが、この一週間まるで練習をしなかったら、驚いたことに、歌えなくなっている。
音程もリズムもガタガタになっている。オーディションの前は、毎日練習していたのに、たった一週間で、もとにもどってしまったのだ。
私とおばさんが二人で歌ったとき、近藤先生は何回もやり直しをさせた。
「あなた、よかったわね、ここがオーディションだったら、落ちてたわよ」
のきつい一言に、胸をグサッとさされるような感じがしたが、たしかにできていないのだ。この人は、お世辞を言ったりしない人だけど、意地悪な人ではない。
合唱をやりにきているおばさんは、大きく別けて二つの種類がある。
ひとつは、昔から音楽好きで、よく歌っていて、割合じょうずで、先生の指導にも謙虚なタイプ。このタイプのおばさんは、だいたい髪なり、身なりなどもきちんとしていて、先生から言われる注意に、素直に対応している。レベルの高いタイプである。
もう一つのタイプは、完全なオバタリアンであり、これはまあ、歌うことが好きなんだろうけれど、はっきり言わせていただければ、初心者の私よりも、はるかにあさってな音を出し、いったいこの人は、今までの練習の間、何をやっていたんだろうと思わせるほど、発音も音程もリズムもメタメタである。先生の指導には、面と向かって口答えをしている。おうおうにして、髪はボサボサで、化粧っけもなく、身なりもかまわない。
私と一緒に近藤先生に叱られたのは、後者のタイプの人だったから、レッスン終了後、
「あの人、いつも私たちを先にあてるんだものね。最初にやらされるから、できなかったのよねぇ」
と話しかけてきた。
最初だろうが、最後だろうが、その時できないのは、出来ていないということなのだ。一番はじめにやったから、できないなんて理由にならない。
「私は歌えませんでしたよ」
と答えたら、他のオバタリアンたちと、近藤先生の悪口をさかんに言っていた。
私も少し前、あの人達と同じ精神状態にあったのだと思うと、彼女らを責める気にはならなかったが、学ぶという作業には、謙虚な心が必要なのだということを、改めて認識させられた。
このままじゃいけないと思い直した私は、男性の練習が終わるまでの間、いのこり練習をした。合宿で仲良しになったともみちゃんに、リズム読みを教えてもらった。ともみちゃんは、オーディションを一回で、しかもオールAで合格しているのに、毎日練習していると言う。
「子供は言われた通りするから。大人は、勝手なことをするけれど」
黒須先生の言葉が思い浮かんだ。
練習では、近藤先生に叱られ、ヒットラーグンジの指導は受けられずの、運の悪い日だったけれど、それでも一つだけ良いことがあった。
練習が始まる少し前、疲れぎみのため、遅れてやってきた兄に、先に帰っていいよと言おうとして、男声合唱の部屋をのぞいていたら、後ろからヒットラーグンジが、
「おにいちゃんさがしているの? まだきていない?」
と声をかけてきたのだ。ヒットラーの目は優しく、その時のヒットラーの顔は、子供にお乳をやっている母ゴリラそっくりだった。
驚きと、まるでアイドル歌手に声をかけられたミーハー娘みたいに、ワクワクする喜びに満ちて、
「はい」
と答えた私は、年がいもなく胸がドキドキして、顔がほてった。
帰り道、兄はヒットラーグンジに、ヒットラーのやる第九の演奏会に出ないかと、勧誘を受けたことを嬉しそうに話した。団長にも、ベルディーのレクイエムを歌わないかと勧誘されたのだそうだ。
「おれなら、他の合唱団でも、それなりにできるしな」
と、得意げな顔をしている。どうも、見ていておもしろくない。
「男で合唱をやっている人が、少ないから声をかけられただけでしょ。女性は合唱人口が多いから、その必要はないけれど」
と、さも冷静に分析したかのように言ってみたが、ここがオーディションだったら落ちてたわよ宣告された奴が言ったって、そんなのただの負け惜しみである。
兄は、やたら音をはずす奴がいるだの、下手な奴とは一緒には歌いたくないだの、おれは、ちっとも郡司さんに注意を受けなかっただのと楽しそうにしゃべっていた。
〈ああ、ヒットラーと練習がしたかった。練習中ならどんなにヒットラーを見ていても、おかしくないものね。でも、今日はヒットラーが話しかけてくれたんだから、まあいいかぁ〉
帰り道、一人でニヤニヤ笑いながら歩いている私を、兄は、
「何、ニヤけてんだよ」
と気味悪がった。
まさか、ヒットラーグンジに声をかけてもらったことが嬉しいなんて、今さら兄にだって言えなかった。
何とか名誉を回復したところでいよいよ本番を迎える・・・ |
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