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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第12回(2005/6/10 更新) →最初から読む
12. 『1990年新星日響の第九 IN 東京芸術劇場』の巻
12月16日日曜日、10時少し過ぎに、東京芸術劇場についた。今日は、午後2時と7時の、2回の本番がある。東京芸術劇場の入り口には、下品な感じのピカピカの、色とりどりのネオンのついた、薄気味悪い滝が流れていた。さも、池袋という感じの、大きな風俗営業の店のような感じをあたえる。
”何、これ・・・“
しか、言葉が浮かばない。
10時半からの練習は、体をのばしたり、呼吸法の訓練をしたりした。その後、うまい合唱と下手な合唱とで、差が出るところをポイントに、復習をした。ヒットラーは、同じ注意を繰り返した。
11時半からゲネプロ。舞台に上がり、並び順を決めて、オケとあわせる。ここでもペトルは、654小節の入りをふらなかった。音の入りがバラバラになる。ペトルは、またニヤッと笑った。
〈ここは、絶対に決まらなけりゃいけないところなのに。ふりなさいよね!〉
3回も指揮をしていて、指揮者がふらなけりゃ、アルトはうまく入れない、なんてこともわからないペトルに、苛立ちがつのった。
東京芸術劇場の舞台は、ゆったりしていて、とても楽だった。オケあわせの時の調布グリーンホールとは、格段の差があった。リハーサル室も、広かった。
全体的にゆったりと、余裕をもって作られているので、リラックスできた。
ゲネプロの後、毎度のことながら、ヒットラーがアルトに注文をつけた。アルトの声が小さいのだ。他のパートが充実しているだけに、圧倒されてしまうから、もっとエネルギーを持てという。たしかに、ソプラノ、ベースはみごとだった。アルトは音が下がるので下がらないようにというヒットラーの指示だ。
毎年300名以上いた団員が、今年は、エキストラを含めて、240名あまりだった。エキストラを抜いた実際の団員数は、210名前後らしい。しかしプログラムには、371名の団員名が書かれていた。
ここまで読んでくださった読者の中には、私の表現したヒットラーグンジに対する形容が、多少なりともオーバーであると、感じられた方もいたかもしれない。
だが、私は決してヒットラーグンジを、必要以上に恐ろしい人間として表現はしていないのだということが、前記の数字からも、理解していただけると思う。
社会人、主婦、もしくは学生であっても、いい年をした大人が、自分で決心して、しかも団費まで払って合唱をはじめたのだから、ちょっと大変なくらいなら、やめたりはしない。おそらく、やめていった大半の人が、初心者であったのだろう。
1990年の新星日響の第九の舞台に立つということは、初心者にとって、いばらの道を素足で歩くような、つらく、苦しく、遠い道程だったのだ。
2時過ぎ、アルト殺しの、650小節から654小節までを歌う人を決めるオーディションがあった。どうせ受かりっこないし、受かる気もないし、最初からやらないと決めて練習もしていなかったのだが、本番前で緊張していたため、ただでさえうわづる声が、よけいにうわづってしまったら、合格してしまった。予想外の展開に動揺した私は、副会長に、リズム読みを教わらなければならなかった。
ヒットラーは、いつも、歌えないところは歌うなと言っていたくせに、本番当日になって、ベースの一部のパートを、アルトは全員で歌うようにと指示した。自分のパートが、ほんの少し増えただけでも動揺するような奴に、他のパートの助人なんて、できるわけがない。ヒットラーには悪いが、たとえ彼が土下座して頼んできても、歌う気はなかった。
オーディションの後、地下二階のリハーサル室から、七階の楽屋まで、エレベーターでのぼった。
第二楽章が終り、舞台に上がった。舞台は、思っていたよりもずっと明るく、とてもまぶしかった。
第三楽章が始まった。頭の中が真っ白になり、体がフラフラして、めまいがして倒れそうだ。緊張して心臓がドキドキしている。たくさんの人たちの目が、今、この舞台にそそがれているのだ。
〈怖い〉
なんとも言えない不安感が、心の中を走りまわっている。
〈帰りたい〉
人に見られていることの恐怖感で、体が震える。口の中が、カラカラに乾いた。
〈誰か、助けて〉
やっと本番までやってきたのに、この日のために頑張ってきたのに、ただ一瞬でもいいから、はやくこの場から解放されたいという思いだけしか、頭に浮かばなかった。
フッと客席を見ると、一階の右側の非常口の近くに、ヒットラーグンジがいる。本番だっていうのに、いつものように、ノーネクタイのタートルネックのシャツを着ている。
〈もう少し、おしゃれしてくればいいのに〉
ヒットラーグンジを見ていると、不思議と胸の動悸がおさまってくる。体のふるえも、とまってくる。別にヒットラーグンジが、そこから指示を出してくれるわけではない。何をしてくれるわけではなかった。だが、ヒットラーグンジを見ているだけで、肩の力が抜けてくるのだ。第三楽章が終るまで、ずっとヒットラーだけを見つめていた。
第四楽章がはじまった。もう恐怖など、感じている余裕はない。
私はペトルを見た。頼りになるのは、もうこの人だけなのだ。音楽に頼るのはいいけれど、音や人に頼るなと、以前ヒットラーは言っていたが、それは歌える人に言えることで、私のように歌えない奴には、音楽なんてまったく頼りにならない。
ペトルを見て、精一杯口を開けて歌うこと以外のことは、何も考えなかった。
〈ソリストのところを、間違って歌わないようにしなくては〉
あごを落とせ。息をまわせ。一枚上の音を歌え。胸かくを前に出せ。エネルギッシュに歌え。ヒットラーの注意が頭の中で、グルグルとまわった。
合唱部分に入った。ただ無我夢中で歌った。ペトルは654小節をふってくれた。たったひとつのアルトの見せ場は、見事にきまった。
後で副会長が、ペトルが途中でよだれをたらして、ハンカチでふいていたので、おかしくて笑ってしまったと言っていたが、私はペトルしか見ていなかったはずなのに、そんな光景は、まったく覚えていなかった。
体中のエネルギーを、全部出しきってしまったように、歌い終ると、肩で息をしていた。気がつくと、汗まみれだった。
一回目の本番が終わり、6時半まで自由時間だったので、副会長とお茶をしに外に出た。よくよく見ると、東京芸術劇場の隣には、Yという連れ込みホテルがあり、大ホールまでの長いエスカレーターのサイドには、品のないネオンがチカチカしていて、これであと軍艦マーチが流れたら、完全なパチンコ屋だ。サントリーホールよりも、ずっと素晴らしい音響を誇る大劇場なのだから、もうちょっとグレードの高さというか、センスの良さというものが欲しいというのが、我々二人の率直な感想だった。
私たち二人がお茶をした喫茶店に、ヒットラーグンジが、家族の人たちと一緒にきていた。その時のヒットラーは、おだやかな、優しい笑顔の、ごく普通の男性だった。そういうヒットラーを見て、何かとても大事にしていたものが、腕の中からすりぬけていくように感じて、思わず目を伏せてしまった。
一回目の本番で、思っていたよりもずっと体力を使ってしまっていた。体中がだるく、はきなれないヒールの靴のせいで、頭も痛い。気分が悪く、横になりたかった。お茶のあと、副会長と一緒にリハーサル室で裸足になって床に座って壁にもたれていたら、二人とも寝てしまった。
もう、歌いたくなかった。さっさと帰りたかった。
6時半、ヒットラーがリハーサル室に入ってきた。フォルテの部分はいいから、音の強弱のメリハリを、しっかり出すようにという指示があった。ヒットラーは、実際には発声をさせず、楽譜をゆっくりと、黙って読ませた。私も副会長も、楽譜を読みながら、寝てしまった。
リハーサル室から七階の楽屋に行く前、ぐったりしながらリハーサル室の外にある、中央のおきものの近くにいたら、新星日響の関係者の人が、
「これを食べて、元気を出しなさい」
と言ってアメをくれた。
7時過ぎ、楽屋にむかった。第二楽章が終り、舞台に上がった。
第三楽章がはじまる。さて、グンジはどこかしらとさがしたが、グンジはどこにも見当たらなかった。一階の中央の席に、団長はいる。でもグンジはいない。
顔を動かすとみっともないので、動かすなと、事前に注意があったので、目だけを動かして、一階の観客一人一人を全員チェックしていったが、グンジはいない。
〈どこにいるの?〉
心の中に、どうしようもない不安が広がった。体がふるえはじめ、とまっていた胸の動悸も、激しくなった。それと同時に、目からウロコが落ちたように、心のもやが晴れ、ちょうど雲一つない槍ヶ岳の頂上から下を見渡すように、自分の心が、丸見えになった。
私は、誰のためでもない、ヒットラーのために歌おうとしていたのだ。グンジが満足だ、よくできた、と言ってくれる合唱がやりたかったのだ。そのために、今歌おうとしているのだ。だから、落ち込み落ち込みしながらも、今まで続けてきたのだ。私の合唱の原動力は、何でもない、ヒグマでサソリでガラガラヘビのヒットラーグンジだったのだ。
「歌は、人のために歌うものだ。自分は自分の声をきくことはできないのだから」
ヒットラーは、そう言っていた。
〈そうよ、ヒットラーのために歌うのよ。ヒットラーに聞いてもらわなけりゃ困るわ〉
一回目の本番でヒットラーグンジがいたところを重点的に、私は必死になって、ヒットラーをさがした。似ている人を見つけるたびに、じっとその人を見た。
だが、グンジの姿は、見当たらなかった。
第四楽章がはじまった。すると不思議に体のふるえがとまった。やはりグンジは見当たらなかったけれど。
〈必ず、このホールの中にいる。どこかにいてくれるはず。心配しなくても大丈夫。きっと聞いているから。ヒットラーのことを信じよう〉
そう決心してペトルを見た。
なんだか、妙に頭が冴え渡っている。合唱部分に入った。すると、その時ヒットラーが口をすっぱくして言っていた注意が、楽譜と一緒に流れるように頭に浮かんでくる。
「ディミニエンド、レガート、フォルテは四つ分。デクレッシエンドの頭はフォルテ。ブレスは何回やってもいい。絶対に音を下げるな。跳ねるように歌え、この音を長くすると、次が遅れるぞ」
ペトルの棒にあわせて、まるでヒットラーが横に立って指示をしているかのように、ヒットラーの声が聞こえてくるのだ。
体の中から、何だかわからないが、暖かいものが吹き出してくる。オーケストラも、どんどんのってきている。オケの盛り上がりが、こちらまで伝わってくる。ペトルものっている。合唱団は、みんなエネルギーにあふれている。三百人以上の舞台の上の人々が、一つになろうとしている。一つの音楽を作り上げようとしている。たまらない高揚感、ゾクゾクする快感が体中を走る。瞳孔が散大していくのがわかった。
その一瞬、ヒットラーグンジは、私の神だった。彼のために、その一瞬を生きた。彼のために、自分の存在など無視して、音楽を作り上げるために、私の心のとびらが全開になった。いったいどこに、こんなエネルギーがあったのだろうと、自分でも信じられないほど、今までヒットラーが指示してきたことができるのだ。素晴らしい力が、人の中にはある。人間の潜在能力の素晴らしさを、感じずにはいられなかった。
演奏が終った瞬間、何とも言えない満足感に満たされた。昼の公演よりも、ずっと体は疲れているはずなのに、飛び上がりたいくらい、体が軽かった。まるで全身の細胞が喜びの歌を歌っているかのように、足元から、今まで経験したことのない暖かさが、あふれてくる。
カーテンコールがはじまった。
ペトルとソリストたちが、お客様にあいさつをしている。
〈ヒットラーは、ほめてくれるかしら〉
自分じゃ満足できたけれど、ヒットラーがどう言ってくれるのかが心配だった。
〈いいできだったって思ってくれたかしら〉
ヒットラーのために歌ったのだ。誰よりもヒットラーにほめてほしい。ヒットラーが合格と言ってくれれば、他の人が何を言ってもかまわなかった。
ヒットラーが出てきた。ヒットラーが、合唱団の方を見て、拍手をしている。
笑顔だ!
次の瞬間、飛び上がりたいくらい嬉しくなった。
ヒットラーがほめてくれることなんて、練習中は絶対になかった。笑顔を見せて拍手してくれるなんて、考えられなかった。けなされる一方だった。
厳しかった練習、やめようかと思いつつ通ったパンセまでの道、憂鬱なオーディション。いやでいやで仕方無かった苦しかった思い出が、高速映画のように脳裏をかすめて、一瞬のうちに、暖かい舞台の光の中に消えていった。
合唱団退場の際、お客様が大きな拍手をしてくださった。
楽屋からリハーサル室にもどった。冬の風が汗ばんだ体に心地好かった。
リハーサル室でも、まだ興奮が取れなかった。兄を待っているあいだ、(兄は、なかなか戻ってこなかった)幸恵さんが、
「はじめてで、ツーステージだったから、疲れたでしょ」
と、自分だって疲れているだろうに、私の労力をねぎらい、お菓子をくれた。よっぽど二回目の本番の前に、くたびれた顔をしていたのが印象的だったらしく、顔もよくわからないベースのおじさんたちが、帰り際に、
「どうだ、大丈夫か?」
と、心配顔で声をかけてくれた。
たしかに、一回目の公演が終った時は、疲れていたが、二回目のステージの後は、これから盆踊りに行って、東京音頭を五、六回踊ったって平気なくらい、精神的にも肉体的にも高揚していた。
兄はずいぶんと遅くにもどってきた。なんとグンジと会って話をしてきたという。
できとしては、昼の公演と同じくらいだったが、リズムは良かったとグンジが言ったという。
〈そうか、あんまり満足してくれなかったのか〉
ほんの少しがっかりした。手放しでほめてもらえると思っていたのだ。だが、考えてみれば、それは当たり前のことだった。ヒットラーはプロなのだ。プロの合唱指揮者が、そうそう簡単に、自分の指導に満足するわけがないのだ。
「郡司さん、明日自分が第九を指揮するから、楽屋で指揮の練習をしてたんだって」
兄の言葉に、私の全身の血は、逆流した。
〈なんですって! 私がこんなにグンジのために歌ったのに、聞いていなかったの? 楽屋で指揮の練習? どうりでいないと思ったわ! グンジの奴、何考えてんのよ。ふざけるんじゃないわよ。練習なんて、家でやりなさいよね!〉
自分の努力がむくわれなかった時に起こる、あのなんともいえぬ苛立ちと落胆が、一瞬にして私をとらえた。
この本来ならばヒットラーにむけられるべき怒りは、兄にむけられた。
なんでグンジは聞いてくれなかったのという無念さは、なんで兄ばかりグンジと話せるのよにすり変わっていった。
こういう心理学用語で言えば、投射という現象は、若い娘の心の中では、いとも簡単に起こるので、世の若い殿方は、重々心しておかれた方がよい。
〈なんで、一合唱団員のあんたが、グンジと話せるのよ。だいたいあんた、なれなれしいのよ。あたしのヒットラーに、気安く声かけるんじゃないわよ。なんだって演奏会終ってんのに、すぐ引き返してこないで、グンジと話してんのよ〉
満身の怒りと侮蔑を込めて、兄をにらんでやったが、人の心のヒダなど、まるで感知できない鈍感な兄は、
「ツーステージでつかれたろ」
と、ヘラヘラ笑っていた。
まるで、近所のおとっつぁんと世間話をするかのように、軽々と憧れのヒットラーと話せる奴が、自分の身内にいるということは、由々しき問題であり、なおかつ私の神経を逆なでした。
そんなにヒットラーが好きならば、自分から微笑んだり、質問したり、なんでもいいから近寄っていきゃいいのだ。自分からは、何もできない小心さを棚に上げ、人を責めたって、現状は何もかわらない。
でも、それはできなかった。なぜなら、グンジは優しくてはいけなかったからだ。
グンジは、優しくてはいけなかった。優しいグンジなど、私のグンジではなかった。グンジは、あくまでも恐ろしく、怒鳴り散らしていなければいやだった。
微笑みかけ、冗談を言ったりするヒットラーなど、私のヒットラーではなかった。常にアマチュアにプロ級のことを要求してきて、無理難題をつきつけ、それができなきゃ怒鳴り散らす、とっつぁんぼうやでなければいやだった。いつも、サソリみたいな目をしていなければいやだった。絶対に、近寄れない存在でいてくれなけりゃいやだった。大好きなヒットラーと、馴れ合いになるなんてことは、許しがたかった。
だが、そのくせ、やはりヒットラーと普通に話せる兄が、たまらなく羨ましかった。
この七時からの公演を、ヒットラーが三階で聞いていたという説が、後に発覚した。楽屋で明日の練習説と三階でヒヤリング説。どちらが本当だったのか、今となっては、その真相は闇に葬られ、確かめるすべもない。
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