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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第6回(2005/4/28 更新) →最初から読む
6. 『風の中のグンジ』の巻
11月11日朝、空は早くも秋色に輝き、山の緑は相変わらず柔らかだった。朝食までの時間、少し間があったので、一人で庭先をブラブラしていた。庭先には、シーソーやらブランコだの、懐かしい乗り物がいっぱいあった。まだ、朝もやの中に、大地は眠っているようだった。
ブランコに腰掛けてボーとしていた私は、本当なら今頃うんとおめかしして、そしてゆきお君と楽しい休日が過ごせたのにと思うとズンと落ち込み、今日もまた一日、グンジと顔を合わせなければならないという暗い現実を認識して、またズンズンと落ち込み、朝っぱらから暗い沈み切った表情で、少しもやのかかっている庭先を眺めていた。
朝食を食べている最中に、ヒットラーは、こいつ40過ぎた親父のくせして、なんでこう元気なんだと呆れるほど元気よく、両手を上げて食堂に入ってきた。
いつも伴奏をしてくださる小林先生と一緒だ。この小林先生は、グンジとは対照的に、上品な女性だった。
朝食後、練習が始まった。
「さて、みなさんそれぞれの月の歌を歌いましょう。」
ヒットラーが、それぞれの月の代表的な歌をピアノでひく。ヒットラーは音楽大学を出ているのだから、ピアノくらいひけて当然なのだが、ヒットラーグンジとピアノというとりあわせは、ものすごく不自然な感じがした。
四月は春の小川だの、五月はコイノボリだの、尋常小学校の唱歌みたいなナツメロになると、がぜん元気に歌ってしまうおじさん連中って、ちょっとだけかわいい。
ヒットラーグンジがピアノをひきながら、チラッとこっちを見た。私と副会長は歌っていなかった。ヒットラーは驚き、
「今の若い人は、こういう歌は知らないの?」
と言った。
二人とも歌っていなかったが、この事実は、両極端な例を現していた。
副会長は、小学校の頃ピアノがじょうずで、音楽の時間は先生の代わりにピアノをひいていた。小学校時代の夢は、指揮者になることだった。彼女は先生のかわりにピアノをひいていたので、みんなと一緒に歌うことができなかったので、歌詞を覚えていなかった。
じゃ会長はどうかと言えば、こいつは忘れ物の天才で、フエ、カスタネット、教科書にいたるまで、忘れなかったことはなかった。音楽の道具を入れた音楽袋自体を、どこかに置いてきてしまって、どこに置いたか忘れてしまうこともあった。フエのテストで先生が、
「自由に受けてきて下さい」
と言ったので、受けないのも自由だと思って1回も受けに行かなかったら、先生に呼び出しをくってしまったというそこつ者で、当然歌を歌う時は、口をパクパクさせるだけで、別のことを考えていたため歌詞を覚えていなかった。
これだけ両極端な御幼少時代をすごしてきた二人であっても、表現型は歌えないですむのだから、大人の世界って、ごまかしのきく、いい加減な世界である。
最初のうち、ヒットラーグンジは、ソプラノ中心に指導をした。ソプラノ殺しの高い音を出すために、息をまわす指導だ。
「息をまわせ、のどから出す音じゃ使えないんだ」
ヒットラーの怒声が飛ぶ。
あるソプラノの女の子が、息のまわし方がよくなって、声が変ってきた。
「あなた、声が変ったね」
とヒットラーグンジが言うと、その女の子はお辞儀をして、
「先生のご指導のお陰です」
と言った。みんなが拍手した。まんざらじゃないくせに、ヒットラーの奴が、平静を装っているのがアリアリとわかった。ヒットラーは、いい年して照れ屋さんらしい。
ヒットラーは、ベートーヴェンの育った時代背景を話してくれた。青春時代、フランス革命を目の当たりにした彼の心の中に生まれた思想や哲学。ベートーヴェンは、音楽革命をやったのだということ。並の作曲家じゃしない合唱部分について。ベートーヴェンは、女にもてなかったこと。ヒットラーは、それこそ、ベートーヴェンについてのいろいろなことを話してくれた。
特に女にもてなかったベートーヴェンの話をするときは、実感がこもっていた。副会長が昔習っていたピアノの先生が、ヒットラーグンジと同級生だったのだそうで、その先生が『グンジ君、結婚したのかしらね』と言っていたところから推測すると、どうやらヒットラーは若かりしころ、もてなかったらしい。
練習時間中、もちろんヒットラーの怒声は絶好頂だった。リズムには特に厳しかった彼は、第九を8回も歌っているのにリズムをきざめないおばさんに爆撃を落とした。
「あんた、外で練習してきなさい。できるようになったら入ってきなさい」
そう言い放つと、練習場の外に追い出してしまった。
ヒットラーは、並の作曲家じゃしない合唱部分である806小節から807小節にかけてのシンコペーションの歌い方を特に念入りにやった。
「最初の四分音符が休符だったらどう歌いますか?」
から始まって、リズム読みをさせた。もちろん楽譜の読めない私には、休符にしてリズム読みをさせられるということは、たし算のできない子供に、いきなり二桁の割り算をやれと言っているのと同じくらい、無謀で謎な質問であった。しかたがないので、みんなの声を聞きながら、リズムをとってやっているフリだけした。
休憩時間に入った。ヒットラーグンジは、806小節の入りのリズム読みのできない者は外に出るなと言って、自分はさっさと外に遊びに行ってしまった。
まったく訳のわからないリズムを、副会長にマンツーマンで指導してもらい、やっとのことで理解した。副会長は、シンコペーションなどという難しい言葉を使うと、私が動揺して、なおさらリズムが狂うので、手を打ちながら、5拍目を打つ手が上がるときに入るのだと教えてくれた。
団長が、あまり根をつめずに休憩しろといってきたので、副会長と私は外に出た。
秋風のすがすがしい外に出た途端、グンジが、
「あっ、きたな」
と言ってこっちによってきた。今さら、走って練習場に戻ることもできない。そんなことをしたら、おばさん達と同じ仕打ちを受ける可能性がある。逃げるに逃げられず、でも目の前にいるチラノザウルスから逃げ出したいし、と心の葛藤に苦しみつつ、ずっと下を向いていた。
「はい、やってみて」
ヒットラーグンジは、無表情で言う。副会長は、リズム読みを楽々クリアーした。私はビクビク恐れながらリズム読みをし、副会長の方を見た。
〈できてないよ〉
副会長の目が言う。ヒットラーは、じっと私をにらんでいる。一刻でも早く、この男のそばから離れたいと思いつつ、恐怖にかられながら、もう一回やった。できていたのかどうかよくわからないが、ヒットラーは、にらみつけるだけでなんとか解放してくれた。
688小節から690小節のアルトの部分は、もちろんAランクに位置している部分だった。この部分は、
「イチニッサン、ニイニッサン、サンニッサン....」
というように、カウントをさせながらのリズム読みだ。
普通のリズム読みだってできない者に、カウントしながらのリズム読みをさせるなどというのは、小学生に相対性理論を理解させようとするのと同じくらい、無茶苦茶なことだった。まわりの人に、おんぶにだっこで歌っていた私には、自分でカウントするなどということは、とてもできなかったのだ。
二、三人前の人が当てられている時は、隣の副会長に教えてもらっていたが、このカウント読みは、副会長もよく意味が理解できないらしく、首をかしげている。副会長がよく意味を理解できないことを、会長が付け焼き刃で、できるわけがない。
体中の血が足元に下がっていくのがわかった。隣の人が当てられたとき、もう観念して前を向いた。
「なんで、こんなのができないんだ! 出て行け!」
と、あのヒグマの遠吠えを耳元でくらって、みんなの前で楽譜を取られてぶたれる自分の姿を、NHKのハイビジョンよりもクリアーな画面で脳裏にアリアリとイメージした。その時の屈辱感と、みんなの同情的なまなざし。
〈もうだめだ。ああ、きのう見た夢は、やっぱり正夢だったんだ〉
「はい、あなた」
ガラガラヘビの声に、私は泣き出したいほどみじめな気持ちで、無理やり声を出して、はちゃめちゃに歌った。
ところが、ヒットラーグンジは、私のペースにあわせてゆっくりと一緒に歌ってくれた。その時の声は心持ち優しくて、ちょうど母グマが子グマに何か話しかけているときの、うなり声みたいだった。
並の下手さじゃなかったと思ったが、厳しく叱られることもなかった。そして、その後、
「さあ、みんなでやってみましょう」
と言いながら、私のそばから遠のいていった。
ほんの少し、意外な気がした。
昼休みの後、午後の練習が始まる前に、男性のオーディションが始まった。小林先生とヒットラーグンジの前で、一人づつ歌わされていた。物凄い不協和音を、かもしだす人もいた。
午後になってアルトのオーディションが始まった。オーディションは別室で近藤先生がやっていた。
オーディションの箇所は631小節から646小節までと、675小節から690小節だった。ご丁寧なことに、どちらもAランクに位置する場所であり、私のもっとも苦手の分野であるリズム感がもろに露呈するところだった。
副会長はもちろん楽々とパスした。次は私の番である。
ピアニカにあわせて歌ったが、驚いたことに、まったく単純で、誰でもできる635小節から646小節まですら正確にリズムをとって歌っていなかった。
オーディションはオーディションカードに発音、リズム、音程、総合判定が書かれていた。それぞれAからEまで評価があり、総合で、初心者はB以上が合格、経験者はA以上が合格だった。
自分で採点しても、ひいきめに見て、せいぜい発音C、リズムE、音程Cの総合でD判定くらいの実力だった。
近藤先生は、
「うーん」
としばらく考えて、
「みんなと一緒だったら歌えるわね。でもうーん、もう1回受けて。あえてリズムはCにしておきます」
と発音B、リズムC、音程Bの総合判定B判定をくれた。
オーディションは、10月27日ヒットラーグンジに会って以来、いつも心のどこかにひっかかるいやな問題だった。そのいやな問題を、いきなり不合格というスパイシックな最悪スタートで飾ってしまったのだから、小心者の著者は、さぞかし落ち込むだろうと考える方もいるかもしれない。
だが、不合格の事実はショックではなかった。もちろん嬉しくもなかったが。
どう考えたって、かなり甘く採点しても、D判定をくらうはずだった。それをあえてBにしたのは、初心者ということで、たいそう甘くつけたからである。ちなみに副会長の後輩で、ポチという子が、かなりの経験者であるにもかかわらず、落ちてしまっていた。
自分なりに、しっかり目標を持つこと。その為に、どこがうまくできないか指摘するから。これがヒットラーグンジが伝えたかったことなのかもしれない。初心者は初心者なりに、経験者は経験者として。美しいハーモニーを作り出すということは、その構成員一人一人が自分に与えられた役割を精一杯こなしてこそ生まれるものだから。
自分のハードルを越せ、安心してしまうな。
〈ヒットラーグンジの言いたかったことって、こういうことだったのか。オーディションするっていうのは、なにもすぐにプロ級にうまくなれだの、初心者を追い出すための手段だのじゃなかったんだね〉
このオーディションの意図するところを、なんとなく理解した私は、練習場に戻ろうとした。途中で幸恵さんに会った。結果を聞いた幸恵さんは、まるで我事のように、私自身よりも落ち込んでくれた。
午後4時までの練習は、各パートごとに丸くなり、そこにヒットラーグンジがやってきて、一つ一つのパートごとに指導していった。
「みなさんもきいていてください。どのパートにも共通することですから」
S氏や近藤先生の指導の時との違いは、この点だった。いつさされるかわからない恐怖感から、みんな他の人にヒットラーグンジが怒っていても、それを他人ごととは思えないのである。だから自分に言われている気できく。そのため、練習場の空気がピンと張り詰めたものになるのだ。
ヒットラーグンジがアルトの円陣の中に来た時も、やはり集中爆撃をくらったが、なんだか合宿の終盤になってきて、全員がやる気になってくると、同じ様に歌っていても盛り上がり方が違うのだ。
ただ、ヒットラーグンジは、体調をくずしているらしく、ひどいくしゃみをしていた。鼻水を、ティッシュでふきながら指導するヒットラーグンジの姿は、風邪をこじらせたゴリラみたいに痛々しかった。どうやらヒットラーグンジは、アレルギー体質らしい。
男声合唱の部分の練習の前、激疲れになったグンジは、
「休憩しようよ」
と言ったが、男性たちは盛り上がっていたため、
「やりましょうよ、先生」
と、血も涙もない返答をした。
能力のない指導者は去るだの、去就を左右するものと受け止めているなど、りきみをめいいっぱいこめた文を、しょっぱなに、みんなに渡してしまったヒットラーグンジ君としては、いかに自分が絶不調であろうと、みながやる気になっているのに、休憩するわけにはいかない。
女性は外で休憩をしていたが、お気の毒に、ヒットラーグンジは指導を続けた。
そしていよいよ4時すこし前、今までやったところを全部復習して歌ってみた。たった二日間の練習だったのに、信じられないほど、みんなは上達していた。
残念ながら私は、あまり上達していなかったが、すくなくともAランクの部分は、ほとんどCランクに移行していた。だが、今まで歌えると思っていたDランクのところは、リズムのとり方がはちゃめちゃであることがわかり、Cランクに移行した。
結果的に、合宿前は、Aランク45%、Bランク30%、Cランク13%、Dランク2%だったのが、Bランク42%、Cランク58%にとかわっていた。
このように、数字であらわすと、合宿に参加して、たいそう力をつけたように見える。だが注意深い読者であれば、この数字のマジックには、たやすく気がつくだろう。
いかにAランクが減ったとしても、結局のところ、オーディションに落っこちるというお墨付きまでいただき、合唱部分は全部歌えないということがわかっただけだったのだ。
4時少し過ぎ、二日間の合宿練習は終了した。
「おつかれさまでした」
と、挨拶をかわしあって、みなそれぞれ荷物を持って、練習場を後にした。
〈やっと帰れる〉
兄が車を出している時、心のそこからほっとした。秋の陽射しは、その弱い光を山陰にてらしていた。ともかくも、恐怖の二日間は終ったのだ。
秋から冬になっていくこの時期、体中の細胞や、すべての粒子が、きたるべく冬を感じて引き締まっていくこの季節が、私の一番好きな季節だ。
〈山でよかった。もしこれが町中での練習だったら、絶対根をあげていたな〉
山から吹いてくる風は、独特の匂いがあり、それは私の心を安心させる不思議な力を持っている。私は思い切り息を吸って深呼吸をした。
そしてふいと顔を上げると、左の前方約10メートルのところに、いきなりグンジがいたのである。しかも、目があってしまった。いくらなんでも、そらすのは失礼である。
〈この人は、悪い人じゃないかもしれない。もしかしたら、優しい人かもしれない。とにかく笑顔をつくらなくっちゃ〉
心と裏腹に、表面だけをとりつくろうとすることが、いかに苦しいことか、人間の精神性と肉体性の一致の大切さを、ヒシヒシと感じながら、私は笑顔を作ろうとした。
しかし、笑おうとすればするほど、首と肩と顔に力が入った。全然目は笑っていないのに、口だけ無理にひきつらせて笑っているという不気味な顔で、しかも首をしめられて窒息死する寸前のガチョウみたいにこわばった声で、
「おつかれさまでした」
と言うのが、やっとだった。
やっとのことであいさつした私の方を見て、ヒットラーグンジは、手をちょっとふって笑顔をむけた、意外だったが、その時の笑顔は、ほんの一瞬だったけれど、なんだかとびきり可愛らしかった。子供みたいにあどけなかった。
〈もしかしたら、グンジって、良い人なのかもしれないな〉
荷物を車に乗せながら、私はヒットラーグンジを見た。ヒットラーは、他の人達と話しをしていた。
肌寒い秋風の中で、妙に透明度のある笑顔をしたヒグマグンジ。
〈この人、一体どんな人なんだろう〉
小心者のくせして、好奇心だけはやたらに大せいな私は、デートをぶっつぶされた恨みも忘れて、彼の横顔をながめていた。
この頃、こうして合宿が終わった後、合唱団も指導者も揃って別の曲の練習に行くというスケジュールも少なくなかった。 |
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