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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第11回(2005/6/2 更新) →最初から読む
11. 『本番に向かって』の巻
12月2日、ゆきお君に電話をかけた。ゆきお君は、お菓子を食べながら電話している。なんとなく浮かない声だ。私との電話がいやで、その気持ちをオブラートに包んであらわしているのかしらと思うと、ドッと落ち込んだ。26日、そっちへいきますよと、ゆきお君は最後に付け加えた。
〈11日、合宿なんて行かずに、ゆきお君に会えばよかったんだ〉
そう思うと、ますます不安になる。もうヒットラーを恋路を邪魔する悪魔とは思わなかったけれど、いくら恐ろしかったとはいえ、あの日、ヒットラーとの合宿を選んだことを、心から後悔するのだった。
顔が見られない分、不安はつのる。12月3日、一日中、ゆきお君のことをモンモンと考えていた。
12月4日火曜日、練習場に向かいながらも、ゆきお君のことが頭から離れない。
ちょっとくらい相手の声が暗かったくらいで、もう落ち込んでしまう。人は自分の好きになった相手には、弱いものである。ことに娘心というものは、こと好きな人のこととなると、考えなくてもいいことまで、深く考えて、一人で勝手に疲労する。
〈もしゆきお君が私のことを嫌いで、電話を迷惑に思っていたのなら、26日に行くなんて言わないはずよ。そうよ、別にただ気分がすぐれなかったのよ。素直な人だもの。本当にお菓子を食べながら電話していたのよ。深い意味なんてないわよ。ただ食べながら話していただけよ。こうやってモンモンとしている私って、ブス女だわ〉
「やるだけやってだめだったら、仕方無いでしょ。やらないでダメなら後悔するけど」
練習場にむかう電車の中で、フッと、以前ゆきお君の言った言葉が思い出された。
〈Tさんの時も途中の不安定な状態、どうしようもないくらい頼り無い状態に耐えられず、逃げたんだ。それで、後から泣いて後悔したんだ。つくす一方のバカ女だと思われてもいいよね。一生に一度くらい、自分から相手を好きになって、振り向いてくれるように努力したって、バチはあたらないよね。だめで悲しんでしまうことになっても、Tさんの時のような、あんな苦い後悔はしなくてすむもの〉
毎日練習しようと決めたくせに、モンモンとしてしまい、まったく楽譜を開けてもいなかった私は、車中で楽譜を開き、リズム読みをはじめた。
12月4日の練習は、総仕上げだった。ヒットラーグンジの指導は、かなりレベルの高い要求ばかりだった。ヒットラーは、ベートーヴェンの時代背景を話したり、無重力状態の真似をしたりして、歌に表情をつけようとしていた。
ここを強く歌え、ここを弱く歌え、程度のレベルならば、まだついていけるが、内から込み上げてくるエネルギーを込めてだの、楽園のおとずれに喜びさえずるヒバリのようにだの、そのあたりの石ころを磨いてみたら、宝石になっていったというイメージを表現しろだのの要求には、とても応じきれなかった。
おちょこ一杯のジョニクロを神棚に上げるような感じで歌えと言われたときは、途方にくれ、大きなため息が出た。
以前は、ヒットラーの言っている意味が、ほとんど理解できなかったが、今は四割くらいなら、言っていることの意味がわかった。
しかし、ヒットラーの言っていることの、意味がわかると言うことと、それができるということは、まったく別問題だった。わからないでできないのには、まだ多少の救いがあったが、わかっていてできないと、不安と苦しみがともなってくる。
ヒットラーは、本当に良いものを作ろうとしていた。厳しさの根底にあるものは、音楽に対する愛だった。それがわかるだけに、よけいに歌えないことが辛かった。
「あんたたちは、商品なんだよ。歌えなきゃ商品になんないんだよ!」
ヒットラーの要求に応じられない団員(主にアルト)にむかって、ヒットラーは厳しい顔で言い放つ。
いつの間に上達したのか、ソプラノは音が下がらなくなっていた。怒られっぱなしのアルトは、上達が遅い。
「アルト、音が下がってる。こんなこともできないのか!」
アルトは、どうしても音が下がった。
人が、耳で聞く音と口から出る音は、少し違いがあるのだそうだ。よって頭で認識する音と、口から出る音にも若干の違いが生じる。歌いなれない人は、そのあたりのことがうまくつかめないのだそうだ。一般的に口から出る音の方が低くなる人が多いのだそうだ。だが、極たまに、その逆で、音が上がっていく人間もいる。
合唱を始めるまで知らなかったが、私は後者の少数派に属していた。兄に言わせると、ほっておくと、ドンドン音が高くなってしまうのだという。入る音がすべて、四分の一音くらい(四分の一音というのが、どれくらいかということは、残念ながらよくわからない)
高いのだそうだ。そのため音の下がるアルトの中で歌っていると、音がぶつかってしまい、たいそう歌いづらかった。この少数派の矯正方法は、今のところ不明であるため、手の施しようがない。やはり私は、音痴だったらしい。
こんなことを書くと、まるで私がまったく何も成長していないように、思われる人もいるかもしれない。それは、とんでもない誤解である。リズム感、音程、発音、すべての分野において、ヒットラーの指導を受けるようになって以来、私は、確実にその実力を上げていっていた。
ただ、私が、合唱の階段をやっと一段上がると、ヒットラーは三十段くらいかけ上がっていって、「早くこい!」と叫ぶのだ。
ヒットラーは、頭痛でイライラした大トカゲのような目で、苦しそうに高い音を出すテノールやベースをにらみつけて、いつものドスのきいた声で言い放つ。
「一生懸命やってますっていう、アマチュア根性は大嫌いだ。苦しそうな顔をして歌うんだったら、歌うな!」
ただ、楽譜通りに歌うのだってやっとだった私には、ヒットラーの指示を、完璧に守って歌えるところなんて、一つもなかった。
歌えないことが、苦しみへと変わっていった。ヒットラーを見惚れている余裕など、まったくなかった。下手であるということは、辛いことだった。
散々落ち込みながら歌ったのだが、この日もちょっと良いことがあった。
ピアノをひいてくださる小林先生とちょっとだけ面識ができ、あいさつをしにいったら、そばにヒットラーがいた。
「いやぁ、可愛い妹さんで」
ヒットラーはとってつけたお世辞を言ってくれた。練習中は苦しかったが、今、目の前に立っているヒットラーはまぶしくて、まともに見られなかった。ヒットラーが話しかけてくれたことが嬉しくて、ニッコリ微笑みたかったのに、下をうつむいてしまった。
感情表現の素直じゃない女って、可愛くない。
読者は、私が可愛いとヒットラーに言われて、喜んでいると思っているかもしれない。だが、いくら私の頭脳の思考回路が単細胞であっても、社会人4年目をむかえたお局様である。お世辞と現実をチャンポンにするほど、おめでたくはない。
ただヒットラーが、私を認識していてくれたことが嬉しかったのだ。アイドル歌手のオッカケをやっている娘が『ああ**ちゃんでしょ』と声をかけてもらって、有頂天になるのと同じ気持ちである。(通常アイドル歌手は、その場かぎりで、その娘のことなんて忘れてしまうが、娘は夜、布団に入って、一人思いだし笑いをしたりする)
だから、たとえヒットラーが「今日は良いお天気で」と言ってくれたら、それだけでもハッピーだったのである。自分で言うのも変だけど、こういう気持ちって、ちょっとだけいじらしくて可愛いと思う。
帰り際に、振り返ってヒットラーを見た。ヒットラーは、あまり大きく見えなかった。はじめて会った時は、ヒグマだったのに。
大きくて、ウォーウォー吠えて、目つきは鋭くて、半径5メートル以内は、危険だから近寄らないほうが身のためだと思われた。あのヒグマでサソリでガラガラヘビのヒットラーの姿は、どこにもなかった。ホッとした反面、なんだかとても大切なものを失ったような、切ない寂しい気持ちがした。
12月11日火曜日、本番指揮者との指揮者あわせだ。本番指揮者のぺトルは、チェコスロバキアの人でハンサムな男性だった。ただ指導の仕方は淡白で、音が下がったりすると、ニヤッと笑う時の笑顔が、不気味だった。
〈しょせん、東洋人は、この程度さ〉
ぺトルの目に、少しだけ軽蔑の色が走るのがわかった。そのくせベースが吠えるので、柔らかい感じを出すため、一部のベースのパートをアルトも一緒に歌えという、とんでもない指示を出した。自分のパートだって正確に全部歌えないのに、とんでもない話だ。
「歌える人だけでいいです」
とヒットラーグンジは言う。
〈当たり前だわ。今さらできるわけないじゃない〉
本番当日になって、この歌える人だけでいいですは撤回され、全員歌うこととされるなんて、その時どうしてわかったろう。
ソプラノは、音が下がらなくなっていた。対照的にアルトは音が下がる。ペトルは、何回もアルトを見て、指を上に向けて、下がるなという指示を出した。
ペトルはあまり指導せず、一時間くらいで帰ってしまったが、その後、やはりグンジの顔つきが変っていた。
不満足なのだ。
ガンガン音の下がるアルトに、ヒットラーは目をつりあげて、厳しい口調で、下がるなと怒鳴った。アルトだけ、居残り練習をさせられた。650小節から654小節のアルト殺しの箇所の練習だ。一人づつオーディションしていって、ヒットラーグンジが合格と言った人だけが、この部分を歌えと言うのだ。
当然練習もしてないし、私は不合格だった。副会長は合格していた。ペトルは、ヒットラーのように、合唱部分で、入りをきちんとふってくれなかった。だからアルトの見せ場の654小節も音の入りがバラバラになってしまった。自分でリズムがきざめなければ、とてもこの音は入れない。
ヒットラーが、なぜあんなにまでリズムをきざめるようにしようとしたのか、やっとわかった。すべての指揮者が、ヒットラーみたいに、親切に指示を出してくれるわけではないのだ。
ヒットラーは、不機嫌の頂点でアルトを見た。だがその目には、ペトルのした、優しさの中にある軽蔑などは、みじんもなかった。
できの悪い娘を、何とか上の学校に上げようとして、必死になっている父親。そんなイメージが、フッと浮かぶのだった。
12月12日水曜日、調布のグリーンホールでのオケあわせのため、課の忘年会をパスして年休をとった。
オケあわせの前、ヒットラーは、発声練習と柔軟体操をさせた後、
「音程に、気をつけてください。あとの音楽的なことは、少しくらいできなくて、不安を与えたってかまわないから」
と言った。厳しい顔つきだが、保護者が、子供の高校受験を見守っているみたいな雰囲気があった。
舞台が狭かったので、鮨詰めになった。オケにあわせてはじめて歌ったが、なんだかとてもやりにくかった。オーケストラ伴奏にはいろいろな音が入っているために、ピアノの伴奏のように、入りがはっきりと認識できない。
しかもペトルは、合唱の入りを、ヒットラーのようにきちんとふらないので、やりにくいのに拍車がかかる。とても歌いづらい。オーケストラ伴奏とピアノ伴奏では、これが同じ曲なのかと思うくらい感じかたが違うのだ。以前、団長がなるべく第九の演奏を聞いておくようにと言っていたことを思いだし、瞬間的にしくじったと思った。
だが、オケもオケだった。クラリネットとファゴットの音があわなかったり、チェロとバイオリンのリズムがあわなかったり。ヒットラーグンジがプロプロと言うから、どんなにすごいのかと思ったら、脅されたほどはうまくない。
しかもオーケストラの後ろの方の人たちは、ペトルが指示している間、おしゃべりをしたり、下を向いていたり、中には寝ている奴までいた。他の人に注意していても、自分に言われたように真剣に聞くようにと、ヒットラーにしつけられ、練習時間中は気がぬけないことが当たり前になっていた私には、その姿が、変にスレているように見受けられて、見ていていい気がしなかった。
ペトルは、やはり654小節はふらなかったため、アルトの見せ場の入りは、めちゃめちゃになった。ペトルがニヤッと笑った。
オケあわせは、一時間ほどで終わった。ヒットラーは、その後合唱団員を集めた。やはり不満らしかったが、今言っても直らないだろうから、本番の集合時間を30分繰り上げて10時半にしますと言って、さっさと帰ってしまった。
12月13日木曜日は、オーディション不合格者と自信のない人のみの練習日だった。ヒットラーは優しかった。歩きながら、シャンゼリゼ通りを歩くように歌わせたり、個人攻撃もほとんどせず、いつもと同じような注意を、辛抱強く言い続けて、目つきも柔らかく、物腰もていねいだった。
でも、何かが違った。今回は、レベルの低い人むけの練習だった。このところの練習のように、アップアップしながらやっと後ろにくっついていく、ハイレベルなものではなく、私には、妥当なレベルの練習だった。
しかしながら、何とも言えず、いやだった。自分が、まるで本当の子供のように扱われなければだめな実力しかないことを、感じずにはいられなかった。
グンジの練習は、優しくてリラックスできて、楽しいと言えば楽しいのだが、こんな風に幼稚園生扱いされるのは、許しがたいことだった。
私は、ヒットラーが好きだった。もうグンジ以外の指導者からは、指導を受けたくないくらい好きだった。だから、彼が真剣に高いレベルを要求したら、それに答えたかった。
心ひそかに、ヒグマグンジが言った要求の一割すら答えることのできない自分に、情けなさを感じていた。だから、こうしてヒットラーグンジが、優しくすればするほど、あらためて、自分の実力のなさを、感じずにはいられなかった。
グンジはいつも、同じことを言っていた。
「出そうとする音の一枚上の音を歌え」
「息をまわせ」
大好きなグンジに、何度も何度も同じことを言わせることが、たまらなく情けなかった。自分の声すら自分でコントロールできないことが、くやしくて辛かった。
実力のないことは、わかっていた。正確に楽譜通りにすら歌えない私には、ヒットラーに子供扱いされるのが、ちょうどいいということも。
でも、それでもやっぱりいやだった。
〈下手くそはいや! もっとじょうずになりたい〉
おだやかなグンジの物腰は、厳しい怒声を張り上げるよりも、ずっと私の心に無力感を与えた。
ちょうどその頃、いつもの家庭内のゴタゴタに疲れきって、精神的にまいっていた私を心配して、副会長がそっとおにぎりを持って私のそばにやってきた。これさいわいと、練習場を抜け出した私たちを、団長は驚いた目をして見ていた。
12月14日金曜日、13日の夜に、佐智子が交通事故にあったという連絡が入った。大腿骨両足骨折、膀胱破裂、骨盤損傷の上、数リットルの輸血を受けた。命を取り止めるかどうかもわからなかった。結婚式を2日後にひかえたこの事故に、私はただぼうぜんとするだけで、何の仕事も手につかなかった。
12月15日土曜日、快晴。本来ならば佐智子は幸福な花嫁として嫁ぐはずの日だった。一回目の手術が終り、ここ2、3日が山場だという。
〈もし、明日佐智子の身に何かあったら〉
そう思うと、本番で歓喜の歌なんて歌う気には、なれなかった。
〈やめようか〉
私の中に、そんな思いが浮かんだ。でも次の瞬間に、オーディションに落ちると元気づけ、合格したら、飲みに連れていってくれた佐智子の笑顔が浮かんだ。
式の次の日だから、本番は聞きにいけないけれど、新婚旅行先のカナダで応援していると言ってくれた佐智子。その佐智子は、今、死と戦っているのだ。
〈佐智子のためにも、私が逃げるわけにはいかない〉
そう思い直したが、いつくるかもしれない電話を待っているのがやりきれなくて、家を飛び出した。家を出て、電車を乗りついで、フラッとT駅についた。つい数ヶ月前、佐智子の結婚祝いをさがすために歩きまわった店並みが、同じように続いている。
風は午後から急に厳しい北風になった。
師走の駅前通りは、にぎやかだった。クリスマスらしい飾りつけ。デパートには、第九の演奏にあわせて踊るろう人形たち。みんな幸福そうだ。
薄着で、きのみきのままで出てきた私には、この日の北風はこたえた。ひどい頭痛と悪寒がして、体中が冷えきってしまった。ボーとして歩いていたら、自転車にはねられそうになった。目的意識もなく、ただトボトボと歩いていたら、見覚えのある、カンマーザールという看板が目に入った。その下には、ヒットラーグンジの事務所の看板がある。
〈ああ、そうか。ここがヒットラーの事務所なんだ〉
体中のポテンシャルエネルギーが極端に低くなり、ネガティブメンタリズムにのみこまれて、身も心も冷えきってしまっていた私には、あの力強いエネルギーが、たまらなく恋しかった。
その晩、佐智子は死に打ち勝った。
本番指揮者は毎年変わる。どんな指揮者かは実際に来てみなければわからないのである。 |
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