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≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』 中島 和裕
連載第3回(2005/4/7 更新) →最初から読む
3. 『ヒグマでサソリでガラガラヘビで』の巻
10月27日、合唱指揮者郡司博氏の、初練習の日だ。
鬼の郡司と聴いていたので、6時15分ころに神田パンセについた。(いつもは、練習の始まるギリギリに飛び込んでいたのだ)
初心者は、前に行けとの助言を受けて、私は一番前にすわった。荷物を置き、会報をとりに行くと、40歳前後のヒグマみたいにがっしりしていて大きくて、ついでに態度も大きいおじさんが、ムッとした顔をして、人のことをよけもせずに入口から入ってきた。
あやうくぶつかりそうになった。まるで、お前が避けるのが当たり前だと言わんばかりで、横柄で嫌な感じだった。セーターを肩にかけ、袖を首に巻いている。目つきは厳しくて、サソリの目のようだ。
〈なに、このおじさん。いい年してまるで若者みたいにセーターを着て、それにずいぶんと威張って歩いているわね、新顔にしては〉
威張りくさった変なおじさんを横目で見ながら、私は会報をとって席についた。
6時半になった。すると、一人の男の人が颯爽と中央の指揮者台にやってきた。そして発声練習すらせずに、いきなりピアノ伴奏に合わせて指揮を始めた。
何が始まったのかが理解できるまで、数秒かかったが、とにかく遅れながら慌ただしく楽譜を開き、私も歌いはじめた。
〈この人が郡司博か〉
私は楽譜を開きながら、そっと彼を見た。
幼稚園生のお掃除用のスモッグみたいにだらしなくシャツを着ているその人は、さっきの横柄な新顔のおじさんだった。
〈この人が、郡司博なの?〉
一瞬、落胆が心の中を駆け巡った。
パッとしない、どこにでもいそうな少し太ったおとっつぁん。あんまり人相は良くない。目は、やはり厳しく、鼻は大あぐらをかいている。牛を怒らせたときの鼻にそっくりだ。髪は男のくせに長めで、秋篠宮殿下みたいなヘアースタイルだ。
端的な表現としては、漫才師の島田洋七そっくりな顔をしている。体つきは大きくて、がっしりしている。本物のヒグマみたいだ。おなかが、中年太りでプクッとふくれている。
ほっそりしていて、少し神経質そうで、でも少年のような澄んだ目をした小泉和裕さんみたいな人として思い描いた私の郡司博像は、練習開始後ほんの三十秒ほどで、実にあっけなく崩れ去った。
「キュッセ、ガブズィのところ」
ヒグマのサソリが声を出した。その声は、ガラガラヘビが獲物を狙うとき出す音のように不気味で、恐怖心をあおる、ガサガサでやたらに大きい声だった。S氏のように、DだのMだのと言ってくれれば、ページもすぐに開けるが、歌の歌詞を言われたってそんなものは、まだ全部覚えていないのだから、まともに楽譜もひらけない。
隣の人のページを横目で見て、やっとページを開いた。
「ここに、いくつtの発音があるか、印をつけてみなさい」
ヒグマのサソリのガラガラヘビの声。
練習場の空気が変わった。S氏の時にも近藤先生の時にもなかったピンと張り詰めた空気になる。
「はい、あなた、ここの発音してみて」
いきなり、郡司博が個人攻撃を始めた。私の二つ隣の人が当てられた。
「アイネ・・・」
「違うだろ! アーイネだろ。だいたいあんたペンはどうした!」
郡司博は、練習場全体に響き渡る、チラノザウルスの鳴き声のような大きな声で怒鳴った。まるでヒグマの遠吠えを耳元でくらっているみたいだった。目つきは爬虫類が獲物に襲いかかろうとしている時の目にそっくりで、鼻の穴はマラソンした直後のカバみたいに広がっていた。自然な人間の恐怖心を刺激する、とんでもない雰囲気が漂っている。
彼女は、当然口もきけない。
郡司博は、その女性の楽譜を取り上げると、楽譜で彼女の頭をパシッと大きな音がするくらい強くぶち、ガサガサの異常にどすのきいた声で、
「出て行け!」
と、叫んだ。練習場の空気は、冷たくなった。
「次、あなたやってみて」
私の隣の人がさされた。次は私の番だ。ところが当てられている箇所は、まったく発音なんてできないところだった。
〈どうしよう、ぶたれるよ〉
体内にアドレナリンがビンビンに流れ、胸は高鳴り、体中に恐怖の旋律が走った。成人して以来、久々に味わう、恐ろしいものに対する素朴な恐怖心だ。
だが郡司博は、私を飛ばして私の横の人を当てた。
その後、ソプラノの方を向いて郡司博が発音練習をしている間に、頭をぶたれた女性は練習場から出ていってしまった。
少しはすまなそうな顔をしているかと思ったら、郡司博ときたら平気な顔で、なにもなかったかのように、またガサガサの地なりのような声で言った。
「楽譜を閉じて」
楽譜を見たって発音できないドイツ語を、どうやって見ないで言えというのだ。
「私を見て。あんた、楽譜は閉じろっていっただろう」
目をつりあげながら、郡司博は言い放つ。郡司博には自分の背後にいる人が何をしているのかもわかるようで、死角にいるはずの人にも、厳しいチェックをしていく。
彼は次々に個人攻撃をはじめた。ドイツ語を一人一人立って発音させた。たいした間違いじゃなくても、ほんの少しの発音の違いも見逃さず何回も言い直しをさせた。
指示したこと以外をやることを、絶対に許さない。
〈独裁者〉
瞬間的にそんなイメージが浮かんだ。
〈この男はヒットラーだ〉
「私を見て、楽譜を閉じて」
二時間の練習の間、それ以外の言葉は耳に入らなかった。
目をそらすと怒鳴り散らされる。かと言って彼の姿と言えば、本物の獣のようなのだ。
〈なんなのよ、この野蛮なヒグマは〉
驚きと恐怖感で心の中をいっぱいにさせ、私はヒットラーグンジを見つめていた。
午後九時。ただ恐ろしさに震えた練習が終った。さぁ、これで帰れると思ったら、ヒットラーグンジが一枚のプリントを配った。
『今、新星日響合唱団の存在が問われている』
プリントの一行目には、わけのわからん表題が、四倍角のワープロ文字で書かれている。
『昨年はサントリーホールでの第九ということで、多くの団員が集まった。その結果、初心者中心の第九合唱団となり演奏のレベルの低下をまねいた。このことは、お客様またオーケストラに、合唱団に対する音楽的不信感を与える要因となってしまった。昨年の第九の演奏は、私の二十年の第九指導の中で、最悪の一つになってしまった。
能力のない指導者は去り、団員としての自覚のレベルアップに、やる気のない団員は去らねばならない。私は今年の第九を、私の去就を左右するものと受け止めている。他が何を言うかではなく、私自身が演奏会に本当に責任を果たしたと思わない限り、この合唱団の指導者としてふさわしくないものとして去らねばならない。
今、この試練に取り組まなければ、新星日響合唱団の新しい発展はない。
1、私の指導する練習回数の七割を本番出演の最低ラインとする。
2、出演メンバーはオーディションにより選抜する。仮にメンバー不足の場合には、エキストラで補充する。
3、オーディションは指導者団が行う。オーディションは正しい音程、発音、リズム、発声の方向性を基準とする。オーディションで歌う曲は、演奏会の曲の中から一部を当日指定する。
郡司 博』
この気負いきった、りきみにみちみちた笑っちゃう文章を読んで、私は青ざめた。
「皆さん、誰もが舞台にのれると思っていらっしゃったんでしょう。詐欺だっていわれるかもしれません。詐欺にあったと思ってください。詐欺に引っ掛かるほうが悪いんです」
ヒットラーグンジは訳のわからん無茶苦茶なことを言う。
〈とにかく練習に出ていればいいんだと思っていたのに。オーディションって、いったいなにごとなの? 誰でものれるんじゃなかったの?〉
家に帰りついた私は、事実関係を深く考察した。
最終的にオーディションでメンバーを選出するということは、まったく初心者の私には舞台にのれない可能性の方が、明らかに高いということだ。完壁にペテンに掛けられたのだ。去年の程度のレベルだったらついていけると思ったからこそ入団したのに。これでは話が違う。
もしもこの時、ゆきお君をさそっていなかったなら、妥協の女王である私は、すぐさま新星日響合唱団を退団しただろう。しかし、問題はゆきお君だ。いまさら出られないなんて、かっこ悪くて言えたもんじゃない。
〈今さらスゴスゴと引き返せるか・・・〉
事実関係がはっきりしてくるにしたがって、ことの重大さを再認識した私は、愕然として楽譜を開いた。いったい何をしたらいいのかまったくわからなかった。
でも、とにかくドイツ語を発音できるようにしなくちゃならない。発音できなければ歌にならない。次の日、そういう結論に達した私は、歌詞を全部書き出して、その下に発音記号を書き、意味を調べた。初めてまともに意味を調べたシラーの詩である第九の歌詞は、実に素敵な文だった。
『喜びよ、美しき神々の火花よ、楽園からきた乙女よ、
我らは炎に酔いしれながら天の貴方の聖なる神殿へと足を踏み入れる
貴方の魔力は、この世の習わしによって鋭く引き裂かれたものを再び結び付ける
全ての人々は、貴方の柔らかな羽のもとで兄弟となる
抱きあえ百万の人々よ、このくちづけを全世界に
兄弟達よ、この星空の向こうに親愛なる父がいるに違いない』(途中省略部あり)
希望に満ちた、スケールの大きい詩。およそ酒と女と溜め息と失恋で構成された日本の演歌とは、比較にならない壮大な思想がベースになっている詩。私にもこんな詩が書けたら、この世に思い残すことなんて、何もなくなるかもしれない。こんなに素敵な詩を書くなんて、さすがにシラーだ、と感心したが、あんまり感心してばかりもいられない。
ただ読むだけじゃ、どうしても覚えないので、意味を一つ一つ照らし合わせて、意味と一緒に何度も口ずさんだ。愛犬チロの散歩をしながら、
「愛しい父だからアインリーバーファーテル・・・」
などと大声で発音しながら歩いていたら、危ない人と間違えられ、通行人に白い目で見られてしまった。
第九カラオケCDから歌詞の発音のところをテープに落として、通勤電車の中では、テープを聞いて音を確かめた。
それでも、悲しいかな、二十歳を過ぎてしまっている私は、確実に記憶力が低下し、いくら覚えようとしても、発音するだけでは覚えられない。というわけで、会社の休み時間にスペルを書きながら発音した。ついでに日本文も書いておいて、日本語の文を読んで綴りを書けるようにしようとしたが、これはかなりの手間と時間を要した割りには、全くと言っていいほど無駄な作業だった。
仕事中、見つかったらえらいことなのだが、歌詞とその意味を書いたカードをポケットに忍ばせておいて、こそこそと発音の練習をした。
人間、なにごとにおいても主体性というものが大切である。前向きに楽しみながらやろうとすると、なんでも無理なくマスターできるものであるが、不安や恐怖心やプレッシャーにおされての仕事は、なかなかはかどるものではない。時間と労力をかけた割りには、あまりスムーズに覚えられなかった。
とにかく発音できるようにしなくちゃいけない。宿題を出された小学生のように、帰宅途中電車を待ちながら、発音練習をしていたら、二人の酔っ払いのおじさんに、からまれた。
「学生さんか? 社会人か。社会人なのに偉いな勉強するなんて。へぇドイツ語か。おい、このお嬢さんにジュース買ってこい。偉いねぇドイツ語なんて・・・」
いらないと言っているのに、おやじはジュースを買ってくれた。
私はお酒が嫌いなほうじゃないので、酔っ払いに関しては、ある程度寛容だが、見ず知らずの人にからんでくる奴と、怒り出す奴は許せない。
酔っ払いのおとっつぁんは、こっちが集中して発音練習したい気持ちなんて気づくはずもなく、大宮までの車中しゃべり続けてくれた。
会社の近くのA銀行の支店長席に、偉そうにお座りになっていらっしゃるおとっつぁんと再会したのは、それから一週間後の事だった。
1990年の年何故あんなに厳しかったのか。読者は理解してくださるだろうと期待している・・・これは趣味として合唱を楽しみたい団員とそれは理解しつつも演奏会のクオリティはあげたい合唱指揮者との意識レベルでの戦いの物語である。奮闘はまだまだ続く。 |
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