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 ・〜・〜 目 次 〜・〜・

 はじめに
1.「1989年新星日響の第九」の巻
2.「合唱ってこんなもの?」の巻
3.「ヒグマでサソリでガラガラヘビで」の巻
4.「恐怖心と怒声」の巻
5.「合宿第1日目」の巻
6.「風の中のグンジ」の巻
7.「野菊」の巻
8.「黒須先生」の巻
9.「オーディション」の巻
10.「美しい人」の巻
11.「本番に向かって」の巻
12.「1990年新星日響の第九
      IN東京芸術劇場」の卷
13.「エンジェル ヒロ君」の卷



≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
  『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』  中島 和裕


連載第7回(2005/5/5 更新)   →最初から読む
 7. 『野菊』の巻

 合宿に参加して百パーセント歌えないということを理解した私は、リズムをとりながらの正確な音とりを、最初からやりなおさねばならなかった。10月28日から11月9日までにやった苦労は、何のみのりを与えることもなく、ただ時間と労力の無駄遣いで終ったという事実は、さすがに私を落ち込ませた。
 通勤時間が往復四時間かかる、通勤女王の異名を持つ私には、リズムをとりながらの正確な音とりを、すべてあと一週間でこなすには、自宅練習だけでは、とても間に合わなかった。
 そのため、ピアニカ持参での通勤が始まった。普通、ピアニカなんて持って会社に通勤する若い娘なんて、いるはずはない。いつもの通勤電車の中で、顔見知りのおっさんに、いぶかしげな目で見られたりもした。
 昼休みには、ピアニカで練習をした。合宿に参加したので、音はなんとかとれるようにはなってはいたが、問題はリズムだった。
 自分で節を打ちながら、なおかつ正確に音をとるということは、たいそう手間のかかる作業だった。同僚達は、憐憫と同情の目で、悲壮感を体中に漂わせながらプープーとピアニカをふいている私を見守っていた。
 11月13日火曜日、本番が近づいたため、ウイークデーの練習が入った。練習場に入ると、12月9日の都響の演奏会で、なんと小泉和裕さんの第九のエキストラ募集の掲示があった。ダーリンの演奏会だ。去年だったら、しっかりチェックを入れていただろう。だが、今年はそんなことをしている余裕などない。
 806小節の入るタイミングは、第九の合唱部分のポイントらしく、重点的にヒットラーグンジの指示がとんだ。
 そして、この日の練習から、発音だの音程だのの基本的な項目よりも、音楽性とリズムといったものに、重点を置く指導が展開された。
 247小節からの三部合唱部部分は、一つ一つの音をはっきり発音してダラダラと歌うな。284小節からの四部合唱の部分では、うちから込み上げてくるエネルギーを持って歌え。313小節からの四部合唱は楽園のきた喜びに、みちあふれたヒバリがさえずるように歌え。543小節からの四部合唱では、年寄り染みた歌い方をするな。
 ヒットラーグンジは、アルトを中心にして激しい口調で指摘を続けた。
 「ソプラノは音が出ないが、アルトは、音を出そうとするエネルギーすらない」 
 ヒットラーグンジは、にくにくしげな目でアルトの団員を一人一人にらみつけた。
 「もっと、内から込み上げてくるエネルギーはないのか!どうして言われたとおりにやらないんだ」
 いつものおたけびが飛ぶ。苛立ちをいっぱいに込めた声だ。どんなに楽園に歓喜するヒバリだって、こんな目で睨む人の前じゃ、歌えやしない。
 ましてや正確にリズムもきざめない人間に、音楽性を要求されても、できる訳がない。
 ヒットラーグンジは、いい気になって指導のレベルを上げていくが、正直に申し上げて、ついていくことはできない。
 歌えないことが、だんだんと辛さに変っていき、ヒットラーグンジに対する恐ろしさよりも、歌えない苦しみの方が大きくなっていった。
650小節から654小節までは、アルト殺しの高い音が続く。ここは、音も高いうえに小さい声で歌わなければならない。アルトの大半が、この部分の音が下がってしまう。なんてことのない音の続く、別に難しくも何ともないところなのだが、そこがなかなかできないのだ。
 ヒットラーグンジは、目をつり上げながら、いつもの怒声で言った。
 「ここは、努力しなけりゃ歌えない人は歌うな。歌わない勇気も必要なんだ。自分が歌えないときは歌うな」
 歌えないところを歌わない勇気だったら、誰よりも持っている自信のある私は、絶対にうたわなくていいところができて、ほっとした。(後日、本番直前、いきなり歌うことを強要され、焦りまくることになるなんて、この時は想像もしなかった)
 「はじめてなんです」
 と一緒にあいさつしあった人達のうち、幾人かは、(かなりの数だと思われるが) ヒットラーグンジの過激指導についていけずにやめてしまっていた。
 654小節のアルトの出だしは、地味でめだたないアルトの、たった一つの見せ場だった。この音の入りがそろわないと、ヒットラーグンジは激怒した。
 「ズワァーじゃなくて、ザーと入りなさい。口の開け方が遅いんだ」
 自分じゃヒットラーグンジの言うとおり歌っているつもりでも、どうもヒットラーの指示には従ってないらしく、
 「アルト、なんで言われたことをやらないんだ」
 と、ただでさえ機嫌の悪いグンジを、なおさら激怒させてしまったりもした。
 しかし、全体的にいって、合宿後のヒットラーグンジは、少し丸くなってきているようだった。
 「歌は、人のために歌うものなんだ。自分は自分の声を聞くことはできないんだから」
 ヒットラーグンジは、精神論まで持ち出した。
 ほんの少しだけど、落ち着いてヒットラーグンジを見ることができるようになった私は、フッとグンジの声に気をとられた。
 あの声、ガラガラでドスがきいていて、およそ声楽を出たなんて信じられない声。もともとの声が良くないから、いくら発声をしっかりしても限界がある。練習の帰り道で、私は兄にきいた。
 「あの人、合唱指導で怒鳴り散らしてばっかりいたからあんな声になったのかな」
 「ああ、ありゃ、もとからあんな声だったんだろ」
 兄の言葉に、訳もなく胸が痛んだ。
〈大学で音楽をやろうと思ったくらいだから、ヒットラーが音楽が好きだったことは、明白だ。でも、あの声じゃソリストは無理だな。合唱指揮が適役って感じだ。ヒットラーの奴、自分の声のことで、もしかしたら切ない思いをしたことがあったかもしれないな〉
ヒットラーの指揮は、たしかに見事だった。声のコントロールの仕方を自分でやってみせて、具体的にどうやってやればいいのかを示してくれる。そのコントロールの仕方は、さすが合唱指揮者と感服させる。だが、なによりもヒットラーに会って驚かされるのは、ヒットラーの持つ、凄まじいエネルギーだった。
次の日、会社に向かう通勤途中で、紫色の菊の花を見つけた。今まで毎日この道を通りながら、気がつかずにいたのだ。アスファルトの道の脇に、どうやって根付いたのかと、驚かせるほど、土のまったくないところに、見事な野菊が咲いていたのだ。
展覧会用の菊のように、世話をしてもらったり肥料をもらったことのない野菊は、春の暖かさを肌で感じ、梅雨の湿っぽい空気と陰気な風に耐えて、台風のときの風雨をなんとか乗りきり、青々とした空を見上げ、入道雲に感動し、夜の花火を楽しみ、虹を見て笑顔し、そして秋の深まりの中に、自分の花を咲かせている。
温室育ちの花達が決して見ることのない、ありのままの自然の美しさや厳しさを、見事に肌で感じて生きる底力のある野菊。
可憐だけれど、雄々しいその菊を見て、フッとヒットラーグンジのことが思い浮かんだ。
〈どうかしてるよ、ヒットラーを思い出すなんて〉
私は苦笑しながらバイクのアクセルをにぎったのだが、その日から菊が枯れてしまうまで、私の目は、その野菊に毎朝そそがれた。そして、野菊はいつでも、私にヒットラーグンジを思い起こさせた。
その日の自宅練習で、リズムというものに、本格的に取り組んだ。
音楽というものには、リズムがある。そして一定のカウントの方法がある。それによって一つの小節に入ってくる音符の数が決まってくる。八分の六拍子は約分すると四分の三だが、四分の三拍子とはまったく違うことをあらわしているのだ。
また、同じ形をした四角い休符でも、それが線の上についているのと下についているのとでは、休む長さが違うのだ。
たしか小学校のころ、習ったような気がするが、小学生の頃は、音楽の評価は、たしか2だったと記憶している。小学校では1をつけないから、ようするにもっともできの悪い生徒の中にいたのだ。
知らないって怖いもので、何も知らない者は、何も恐れない。よくもまあ、勢いにまかせて第九を歌う気になったものだと、自分でも感心した。
私ってば、音楽の拍子は数学のように約分するものではないのだということを理解したとき、一人悦に入り、一大発見をしたような、ウキウキした気になっている、おとぼけさんだったのだ。
11月15日、落ち込みと不安顔で社員食堂で食事をしていたら、
「大丈夫だって。絶対のせるって。そうやって脅しをかけてるだけだよ」
と、上司は言ってくれた。しかし、横にいた小心会の会員は、
「あきまへんよ、そんなこと言うて、落ちてしもうたら、何も言えへんようになりますから、言うたらあかんですよ、慰めは」
 などとのたまい、私を不安のどん底に突き落としてくれた。
 のんべえの多いうちの会社では、まだ11月というのに忘年会の日取りが決定した。12月12日だ。その日は、オケあわせの予定だった。もしオーディションに受かったら年休を取って、休む予定にしていた。出欠を聞く幹事に、オーディションに受かったら出ないけれど、落ちたら出ると返答した。幹事は、小心会の会長だった。オーディションのことで日に日に暗くなっていく私の姿を、目の当たりに見ていた人だったので、
 「わしは、あんたが飲み会に出てくれたほうがうれしいんけどな、でもなぁ・・・・・」
 と、言葉を濁していた。
 仲良しの総務グループのビビエは、もしオーディションに受かったら、社費で祝電をうってやると約束してくれた。佐智子と後輩のハリガヤは、オーディションに通ったら飲みに行こうと言ってくれた。
 私の勤めている会社では、秋に収穫祭という、訳のわからん祭りをする。11月16日が、その収穫祭だった。実験動物の供養際として、会社の行事になっていたが、供養なんて、最初の30分だけで、後は飲めや歌えやで、みんなでビニールハウスのなかでドンちゃん騒ぎをするだけの、実に意味のないイベントだった。
 〈ゆきお君は来るかしら〉
 と淡い期待を持った。でもたとえゆきお君に会えても、明日がオーディションだから、一緒に飲みに行けない。そう思うとなんだかイライラした。ヒットラーグンジ、あいつは私の恋路を邪魔する悪魔だ。いいようのない苛立ちにとらわれながら、不機嫌極まりない顔で、806小節から810小節にかけてのリズム読みをブツブツつぶやきながら、試薬棚の整理をしていた。
 ところが、収穫祭が始まっても、ゆきお君は来なかった。ゆきお君と同期で課も同じ人はきていたのに。
 7時までキョロキョロと探したが、やはりいなかった。酒盛りはまだまだ第一ラウンドが終ったばかりで、これからだったが、明日のオーデションの準備をしなければならない。私は、後ろ髪を引かれる思いで、ビニールハウスを出た。
 〈どうしてこないのかしら、いそがしいのかなぁ〉
 ちょっぴり落胆しながら、私は更衣室にむかった。
 11月17日、練習が始まる少し前、緊張して椅子に座っていると、合宿にも参加していないし、オーディションに受かる自信もないのでやめますと、ある若い男の人が言っているのが聞こえた。その人はたしか初心者で、私と同じように、ヒットラーの声におびえて暗くなっていた人だった。
 〈ああ、やめるって言えたら、どんなに楽だろう〉
 羨ましい気持ち半分と、ここまできてやめることにした彼の切ない心境を思うと、同情の気持ち半分で、複雑な思いで、ドア越しに聞こえる声を聞いていた。
 2回目のオーデションは、8階の練習場から階段で下った6階の、小さな部屋で行われた。近藤先生は、前回よりも厳しい顔をしていた。
 オーディションの箇所は、前回と同じだったが、近藤先生は、前回のように全部を歌わせず、途中で発音が少しおかしいだけで、止まって何度もやり直しをさせた。
 「はい、もう一度」
 そう言われると、動揺してしまい、頭に血がカッと上ってしまった。ただでさえ付け焼き刃のリズムが、ガタガタになってしまった。
 631小節から646小節のところは、なんとかクリアーできたが、675小節のところの発音を注意した後、677小節から678小節までの、とても落ちそうもないところで
「ちょっとはやいな、もう一回ね、ここができたら合格にしてあげる」
 と言われてしまった。
 もし、もっとむずかしいリズムのところで落とされたのだったら、納得もいくが、677小節から678小節までなんて、はっきり申し上げて、どうやりゃリズムが狂うのかと、あきれるほどの超簡単なところだ。
 本当は、もう一つ688小節から690小節のところも、オーディションの範囲だったのに、そこまで歌わせてももらえなかった。
 〈ちゃんと歌っていたのに、どうして落とされたの?〉
 きつねにつままれたような気分で練習場にもどっていった私に、団長は結果をたずねた。この団長の札野さんと奥さんの幸恵さんは、二人してとてもいい人だった。とても気を使ってくれた。
 練習が始まる前、あの男の人がやめますといって帰っていった後、オーディションのことで不安におびえて席に座っていたら、団長が明るい声で話しかけてきた。しかも、うけそうもない、つまらないギャグを飛ばしてくれた。面白くもおかしくもなんともなかったけれど、せっかく気を使ってくれているんだから悪いなと思って、義理で笑顔を作ると、
 「大丈夫、大丈夫だからね。今までやっていたようにやればいいんだ」
 と、真面目顔でいう。
 オーディションから落ちて帰ってきた時、落ちましたと報告すると、
 「それは、まだ実力が出し切れてないんだ」
 と、一生懸命フォローしてくれた。合宿の時といい、17日といい、団長と奥さんの私に対するフォローは、涙ぐましいものがあった。
 訳のわからないまま落とされた私は、その後練習場にもどった。練習は、全体のハーモニーを作るところまで、レベルアップしていた。
 練習の後半になるにしたがって、ヒットラーグンジは盛り上がってきていた。ところが、アルトに一人、盛り下がっていた女性がいた。するとグンジは激怒し、その人の楽譜を取り上げてしまった。
 「あんた、なにやっているかわかってないだろう!」
 ヒグマのサソリが厳しい声で言う。こういう時は、素直にごめんなさいとあやまってしまえばいいのに、その人も、
 「わかっています」
 と言い返してしまった。
 「あなた、後で歌ってもらう」
 とヒットラーグンジに言われて、練習後呼び出されていたようだった。楽譜を取り上げて歌えないようにするなんて、意地悪なことをして平気でいるヒットラー。
 でもたしかに、合宿の時は優しかったような気がした。歌えなくても、一緒に歌ってくれたりして、ヒットラーは、恐ろしいヒグマだったが、よくよく思い返せば、ヒットラーが私に厳しいことはなかった。むしろ、親切で心持ちか優しいかなと思うことすらあった。もちろんヒットラーは、ヒグマでサソリでガラガラヘビだったから、物腰や態度や目つきはまったく変ってなかったけれど、なんとなくヒットラーが、私をおびえさせないようにしているんじゃないかしらと思われるふしが、感じられるのだ。
 一体この人、優しいのかしら、意地悪なのかしらどっちなのかしらと思いながら、オーディションに落ちた心の傷を押さえつつ、家路についたのだった。

 出来ないことを怒っているのではない、出来るのにやろうとしないから怒るのである。そして怒るには相当なエネルギーが必要なのだ。

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