ホーム - 合唱指揮者が語る曲づくりの秘密(千人インタビュー)



 ・〜・〜 目 次 〜・〜・
 はじめに
1.『千人』の合唱練習
2.『千人』の難所
3.『千人』をもっと楽しむために
4.今回の『千人』に対する思い
 <千人解説>
5.ゲーテ『ファウスト』の宇宙観の音楽化〜作曲の経緯
6.交響曲第8番の構成
7.ファウストの救済
8.マーラー畢生の傑作






ゲーテ『ファウスト』の宇宙観の音楽化
 =7.ファウストの救済=

       岡田利英
(認定NPO法人おんがくの共同作業場理事)

 さてこの大曲は第一部が開始から圧倒的な音圧で迫って強烈な印象を与える一方、第二部は長いというだけでなく、様々な要素が盛り込まれているからか、理解するのが少々困難かもしれません。このあたりがこの曲の人気や評価がマーラーの前後の曲に比べるといまひとつふるわないものにしている原因でしょう。また前記のような作曲時のエピソードなどからも第一部について語られることが多く、マーラーが表現したかったことが第一部で明示的に示されているかのように言われることがありますが、この曲の中心はやはり第二部にあるのではないでしょうか。そのことを考えるにはマーラーがテキストとして採用した『ファウスト』の最終場面について考える必要があります。
 ゲーテの『ファウスト』は第一部と第二部からなっていて、第一部でファウストは、あらすじにもあるように悪魔メフィストフェレスと契約を結んで好き放題をするなかで、グレートヒェンという女性を身籠らせ、その肉親を殺してしまいます。さらにグレートヒェンは生まれた幼児を死なせてしまい、死刑の判決を受けます。ファウストは彼女を助けようとしますが、気がふれたグレートヒェンは断頭台へと曳かれてゆきます。第二部でファウストは皇帝に仕えて国家運営に携わったり、古代ギリシア世界を経たりと、時間と空間を飛び越えて様々な経験をします。最後には盲目となりますが、心の中で理想の世界が民によって築かれていく様子を感じて(実はそれは悪魔がファウスト自身の墓を掘る物音だったのですが)、感極まってメフィストフェレスとの契約で禁句となっていた「留まれ、汝はさほどに美しい!」という言葉を発したため地獄へ堕ちることになります。しかしその時天使が現れ、肉体から脱け出たファウストの魂を奪おうとする悪魔たちを撃退します。そしてファウストの魂が昇天していくのがこの最終場面となるのです。
 ここで一体ファウストはなぜ救済されるのかという疑問がわいてきます。ファウストはずいぶん悪いことをするのですが、それらに対して後悔こそすれ悔い改めたり、その代償としての償いの行為をすることはありませんでした。それにもかかわらず、しかも第一部でファウストのために悲劇の死を遂げたグレートヒェンの魂に導かれて昇天するというのは何とも理不尽のように思えるのです。これに対してドイツ文学者の柴田翔氏は天上の世界における救済とはそうした代償を求めるのではなく恩寵である、そして「対価もなく与えられるからからこそ、恩寵なのです」といいます。そしてゲーテはそうした救済を与える「原理」を愛と名付けて「永遠にして女性的なるもの」と呼んだと言っています。『ファウスト』の結びである「神秘の合唱」はわずか8行ですが、ここに『ファウスト』全編の意味があり、それは宇宙にある全ての生命の循環の原理を表現しています。そしてその根本にあるのが「永遠にして女性的なるもの」であり、その象徴としての栄光の聖母が私たちを宇宙の彼方、天上の世界へと導いていくというのです。

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