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 ・〜・〜 目 次 〜・〜・

 はじめに
1.「1989年新星日響の第九」の巻
2.「合唱ってこんなもの?」の巻
3.「ヒグマでサソリでガラガラヘビで」の巻
4.「恐怖心と怒声」の巻
5.「合宿第1日目」の巻
6.「風の中のグンジ」の巻
7.「野菊」の巻
8.「黒須先生」の巻
9.「オーディション」の巻
10.「美しい人」の巻
11.「本番に向かって」の巻
12.「1990年新星日響の第九
      IN東京芸術劇場」の卷
13.「エンジェル ヒロ君」の卷



≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
  『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』  中島 和裕


連載第9回(2005/5/19 更新)   →最初から読む
 9. 『オーディション』の巻

 1日5回の練習は、意外な効果を生み出した。練習時間が短いため、歌い終わると、もう少し練習したいという気持ちが出てくる。今までのように、見るのもいやなピアノの前に、どんよりとした顔をして、のったりくったりしながら練習するということがなくなった。
 リズム読みは、ピアノがなくてもできるので、行き帰りの電車の中で練習した。後からハリガヤに聞いた話では、出社して始業のベルがなる前に、デスクの前でよく手を打ち鳴らしながら、リズム読みをしていたそうだ。気持ちの入れ替えをしっかりしようと思っていたのだが、やはり完全にはできなかったようで、いきなりオーディションに落ちる夢を見たりもした。だが、全体的には前の週よりも、ずっとオーディションのことを考えなくなっていた。
 11月22日、聖書をパラパラめくっていたら、マタイによる福音書の18章が目にとまった。チクリと胸を刺されたような気分になった。
 〈金を払っているんだから、あたしはお客よ。素人なんだから、できなくったってしかたないでしょ〉
 そう思っていたのだ。本当は心の中で、そう思っていたのだ。
 黒須先生は、60才を過ぎても子供のように素直な心で物事に向かっていかれるのに、私は、まだ若いのにこんなに心が老け込んでいたのだ。
 〈金払えばいいんでしょ。うるさいわねぇ〉
 と思っている。自分が正しいと勝手に信じ、文句や不平ばかり言っている理屈屋のパリサイ人、これは私だった。
 〈いつの間に、こんなに心が薄汚れてしまったんだろう〉
 その夜は、ドップリと落ち込んで寝た。
 11月23日花の金曜日、明日がいよいよ3回目のオーディションだ。
 就業時間が終わり帰ろうとした時、佐智子は、
 「大丈夫よ、あしたは大安だから、きっと合格だよ」
 と言ってくれた。
 「そうかぁ、大安か。そうだね、きっとやれるよね、大安だもの」
 そう答えて、私と佐智子はニコニコと微笑みあった。
 大安だから、物事がなんでもうまくいくのだったら、日本人の離婚率は、ここまで上昇しなかっただろうに。
 帰宅後、練習に入った。合宿前はただ恐怖心だけで、何もわからなかったのだが、合宿中、ヒットラーグンジが、なぜか発音についてかなりうるさいことに気がつき始めた。
 〈うるさいなぁ、外国の歌を日本人が歌っているんだから、まともに発音できっこないじゃない。なにこの人完璧を望んでいるのかしら〉
 合宿前はそう思っていたのだけれど、ヒットラーグンジが、発音記号まで書き出して、発音について注意している姿を見ていると、そしてオーディションでも発音がやたらに厳しかったことを思い起こすにつけ、これは、何か意味があるかもしれないと、思い直し始めた。
 「思想を伝えるのは言葉だ」
 ヒットラーグンジは、合宿の時に言っていた。
 〈歌って何だろう?〉
 練習中に頭の中にそんな疑問が浮かんだ。発声練習がわりに、賛美歌の391番をどんぐりコロコロの歌詞で歌ってみた。なんとも間の抜けた大ボケな歌になった。
 〈音だけじゃだめなんだ。歌って正しい音を出せばいいってものじゃないんだ。歌は、心を言葉にして伝えるんだ。それで、その言葉を音にのせて表現するんだ。だから発音って音程やリズムと同じくらい大切なんだ。言葉って、人間しか持ち得なかった思想表現の方法だものね。音程やリズムも大切だけれど、それに言葉がプラスするから、初めて歌になるんだね。こいつはごいや!〉
 そんな事、誰だってわかっていることだろうに、単純な私は、誰も解けなかった数学の問題が解けた人みたいに妙に納得して、一人不気味にピアノの前でうなずくのだった。
 11月24日、兄が昼過ぎから音をとるのを手伝ってくれた。
 「発音をはっきりしろ、語尾がはっきりしていないぞ。リズムが走る」
 兄に注意されたところは、近藤先生が注意したところとまったく同じだった。
 〈やっぱり、本当にできていなかったんだ。あの人、別に私に意地悪しようと思って、やっていたんじゃなかったんだ〉
 心の中で少し、近藤先生に悪いことをしたなと思った。
 どうしてもリズムがとれないところは、
 「スキップして歌ってみろ」
 と言われ、スキップをしながら歌った。不思議と、スキップをしながら歌うと歌えるのだ。ピアノの前で、スキップをしながら歌っている姿は、なんとも異様で、やっている本人が、あまりの滑稽さに笑いだしそうだったのだから、それ以上に、ハタから見ていたら、アホらしくて不気味だったと思う。
 2時間ほど個人レッスンをした後、兄は、
 「音程もリズムも、まあ素人なりにはとれているよ。だけど、お前走るから、楽譜持ってオーディションするんだから、あわてないようにすることだな」
 と、言い放った。
 オーディションを受けるようになって、みんなと一緒に歌っているとき、どれほど自分がリラックスしているかがわかった。一人で歌うということは、全責任が自分一人にかかるので、とてつもないストレス状態になるのだ。
 練習場に行くため、少し早めに家を出た。先週、練習が始まる前に、ヒットラーグンジがオーディションをやっていたのだ。とにかく落ちることなんか気にせずに、回数受けろという会社の人の助言を受け入れた行動だった。
 もし早く行って、オーディションをやってもらえば、たとえ落ちても近藤先生のところに行けばいい。
 でも、本当は、ヒットラーのオーディションは受けたくなかった。グンジの前に出ただけで、条件反射的に体が堅くなってしまうようになっていた私には、ヒットラーグンジの前で一人で歌う勇気なんぞ、持ち合わせていないことは明白だったからだ。
 池袋までの西武線の中で、マタイによる福音書の7章を何度も読み返した。丸の内線で、今日のオーディションの箇所をもう一度復習し、東西線の中で、あせらないで、走らないで、語尾をしっかりと注意点を頭の中で繰り返した。
 練習場には、6時前に着いた。ところが、先週は早く来てオーディションをしていたヒットラーグンジは、来ていなかった。
 6時15分ころヒョッコリと現れたヒットラーは、
 「アルトの人、オーディションを受けにいってください」
 と言った。
 何人かのアルトの人達と一緒に、6階のオーディション室に降りていった。前回のオーディションで落とされた箇所は、まあなんとか練習してできるようになっていたが、822小節から824小節の、誰でもできる簡単なところが、何を隠そう私のもっとも苦手なところだった。いきなりここも新しくオーディションの箇所として付け加えられたことを知り、動揺しまくってしまった。でも、この箇所は、本当に試験したいと指揮者団が思っているところの走りとして歌わされるところだった。
 一回歌った。歌えない。二回歌った。歌えない。
 近藤先生が、今回で通そうとしているのが、アリアリとわかったが、オーディションの箇所に行く前につっかかるそこつ者を合格にする訳にはいかない。
 「あなた、ここやっていらっしゃい。後でまた見ます」
 そう言われ、オーディション室を出た私は、8階にかけ上がって、見ず知らずの合格したアルトの人や事務局の人やらに手伝ってもらって、やっと付け焼き刃的にマスターし、もう一回オーディション室に向かった。
 〈だめかもしれない〉 
 そう思った時、佐智子の言葉が思い浮かんだ。
 「大丈夫よ、大安だもの」
 オーディションは、1日1回と決められていた。まだオーディションを受けていないソプラノの人のため、オーディションは、1日2回はだめだとヒットラーグンジからのおたっしがあったと、団長がオーディション室に言いにきた。
 「わかりました」
 近藤先生が答える。泣きたいくらい情け無い気持ちになった。今回のオーデションに落ちたら、精神的にも、かなり追い詰められる。もう本番まで1ヶ月ないのだ。
 大安なのに、大安なのに・・・。
 近藤先生はまわりを見渡すと、
 「ここにいる人だけは、やってしまいましょう」
 と言ってくれた。
 「ただ落としただけじゃ、どこが悪いかわからないでしょ」
 私はしみじみこの人の熱心さに感心し、誤解していたことをすまなく思った。
 「1回でできなかったらだめよ」
 そう言われて、緊張して歌った。
 「はい、いいわ」
 近藤先生の声を聞いたとき、嬉しくて、
 「有り難うございました」
 と大きな声で言ってしまった。
 8回にかけ上がり、事務局の人にお礼を言った。団長にも報告した。練習場に入ったら、8時半をまわっていた。2時間以上もオーディションを受けていたのだ。でも、ほんの数分にしか感じられなかった。
ホッとして楽譜を開き、ヒットラーを見た。ヒットラーは、真剣な表情で指揮をしている。初めて恐怖心を持たずにヒットラーを見た私は、ほんの30分の練習時間中、その姿に釘付けになった。
 ヒットラーグンジは美しかった。たいそう素敵で魅力的な顔をしていた。見惚れてしまうほど輝いていた。若者みたいに見えた。体全体からエネルギーが飛び散り、そのエネルギーが練習場全体にあふれていた。
 まるで、冷たい冬の日に部屋にもどって、暖炉の中にあかあかと燃える炎をながめているみたいだ。ふるぼけた小さな箱をそっと開けたら、たくさんの宝石が入っていて、思わず目を釘付けにされてしまったような気持ちだ。
 「きれいな人だったんだな、この人」
 一瞬でも目を離したくないくらい、その日のヒットラーは、きれいだった。
 なにも変わっていないのに、きれいだった。
 練習終了後、助けてくれた人たちに、お礼を言ってまわった。
 みんな、とても喜んでくれた。いつの間にか、名もしらない者同士、お互いに一つの目標のため協力しあうという連帯感が、でき上がっていた。
 不安や焦りを持ちつつ、まわりの人々のフォローや善意に支えられ、やっとのことで手に入れた舞台へのパスポートだった。

 今、こんなに丁寧なオーディションはなかなか出来ないが、どうしても必要な時は(たとえ本番当日でも)ひとり一人の声を聴くようにしている。大きな合唱団の宿命かもしれない。

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