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 ・〜・〜 目 次 〜・〜・

 はじめに
1.「1989年新星日響の第九」の巻
2.「合唱ってこんなもの?」の巻
3.「ヒグマでサソリでガラガラヘビで」の巻
4.「恐怖心と怒声」の巻
5.「合宿第1日目」の巻
6.「風の中のグンジ」の巻
7.「野菊」の巻
8.「黒須先生」の巻
9.「オーディション」の巻
10.「美しい人」の巻
11.「本番に向かって」の巻
12.「1990年新星日響の第九
      IN東京芸術劇場」の卷
13.「エンジェル ヒロ君」の卷



≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
  『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』  中島 和裕


連載第13回(2005/6/17 更新)   →最初から読む
 13. 『エンジェル ヒロ君』の巻

  12月19日水曜日、朝からなんだか、だるかった。
 しかし、今日は何といっても午後7時から、天下のサントリーホールでの公演だ。しかも今日は、ゆきお君が聞きにきてくれることになっていた。
 秋から、季節は確実に冬にむかっている。この日のために練習してきたのに、なぜか気分がのらなかった。
 なんだかもう燃え尽きてしまったような、倦怠感があったが、16日にあれだけの演奏会ができたのだから、まあ今回もなんとかなるだろうと思いつつ、六本木むかった。
 サントリーホールには、3時半についた。サントリーホールのリハーサル室は、東京芸術劇場と比べると、情けないほど狭くて、トイレも少なくて窮屈だった。合唱団員全員など、とても収容しきれない。
 しかし、なんと言っても、とりわけひどいのは、舞台だった。舞台全体を囲むようにして客席のあるサントリーホールでは、舞台の真後ろの席でも、感度の良い音響効果があった。私と副会長は、金欠二羽カラスであったから、この席を利用することもたびたびあった。だが、こうした真後ろの席を作ったため、舞台で出す音が、全てまわりに抜けてしまうという現象が、当然起こる。壁にあたって跳ね返ってくる音を、自分の耳で確かめることができないため、なんだか地に足つかずの状態で、歌っているように感じる。
 プロならば、あまり気にならないのかもしれないが、アマチュアの、しかも初心者には、とびきり歌いにくいのだ。
 はじめゲネプロに入った時、体の調子が悪いから、こんなに歌いにくくて、のってこないのかしらと思っていたら、舞台を降りたらみんな、異口同音で「歌いにくい」と言っていた。
 ゲネプロが終ると、ヒットラーグンジは、いきなりアンコール用の曲として、『きよしこの夜』をやるから、覚えろと言う。
 『きよしこの夜』は、12小節の短い賛美歌だ。もちろん私は何度も歌っている。(なんたって私の受洗日は12月24日だ)
 ところが、こいつがまったく歌えない。主旋律のソプラノのところすら、まともに歌えないのだから、アルトの部分なんて、とんでもない話だ。
アンコールをやるならやると、16日に言っておいてくれれば、少しは練習しておけるものを、ヒットラーは、当日になっていきなりいろいろな注文を出すので、ついていくのに一苦労だ。
 当然のことながら、アルトに集中爆弾が投下された。
 「歌えないなら、歌うな。小さい声で歌えば、間違ったってめだたないだろう!」
 ヒットラーは、音がどうしても下がるアルトにむかって、サメのような目をむけた。
 そして、急にピアノの前に行くと、鍵盤をたたき、
 「低いんだよ!」
 と、あの10月27日の初めての練習のときと、まったく同じ荒々しい怒声を上げた。 
 何回やっても、アルトの音が下がる。
 グンジは本気で激怒し、ピアノのキーをバシッと強くたたいた。ピアノから、不協和音が響いた。リハーサル室の空気がピリッとした。
 「たった12小節が、どうしてできない!」
 それは、グンジだった。私のグンジだった。10月27日、はじめて見た時の、ヒグマでサソリのガラガラヘビだった。
 楽譜にかじり付いていたら、
 「楽譜を離して持ちなさい」
 と、地なりのようなヒットラーの声がとんだ。体中に、電気が走ったような気持ちがしたが、なんだか旅に出ていた放蕩息子が、やっと手元にかえってきたように思えて、とても嬉しかった。
 7時過ぎ、楽屋に行った。楽屋があまりにせまいので、途中の階段のところまで、合唱団員があふれた。第二楽章が終ると、舞台に上がった。今日はゆきお君が聞きにきてくれているはずだ。たしか右側の二階席だった。私はゆきお君を探した。二階席の右側を丹念に見てまわった。でも、ゆきお君は、どこにも見当たらなかった。
 〈英会話学校の方が忙しいのかしら。仕事が急に入ったのかな〉
 ほんの少しがっかりした。(後で聞いた話では、ゆきお君は左側の二階席にいたのだそうで、アンコールのきよしこの夜も、ちゃんと聞いていてくれたのだそうである)
 舞台に立って、ヒットラーグンジが見えなくても、もう怖くなかった。16日の2回の公演の後、ヒットラーの指導に、絶対の信頼をおいていたからである。
 この人の言った通りにすれば、必ず良い作品が作れる。そう思っていたからだ。
 第四楽章がはじまった。
 〈これが最後の舞台だ。今までの力をすべて出し切ろう〉
 そう決心してペトルを見た私は、合唱がはじまって、愕然とした。 
 まるで、ビルとビルの谷間にロープを張って綱渡りをしているみたいに、頼り無い自分の声。口も開かなければ、頭の中で楽譜など思いも浮かばない。
 〈おかいしい、こんなはずない〉
 変に頭が冴え渡って、まったく関係のないことが、頭にチラチラと浮かんでは消える。しまいには、自分がどこを歌っているのかすら、認識するのに苦労するほど、全然体が歌にのってこない。16日にあれだけ聞こえたヒットラーの声など、まったく聞こえない。音の強弱も、思った通りにならない。まるで、鉛を足につけられて、歩かされている人みたいに、けだるい頼り無い声しか出ない。
 ヒットラーの指示したことなんて、ほとんど思い出せない。
 〈どうしよう、私、なにやってんだろう・・・・〉
 焦りと動揺と不安が、私を取り囲んで、ババ抜きしているようだ。後半に入り、ヒットラーがいつも言っていた、エネルギッシュに歌わなければいけないところに入っても、全然体がのっていかなかった。
 そしてとうとう最後まで、1回ものりきれずに、サントリーホールでの第九の演奏会は終ってしまった。
 お客様が拍手をしてくださったが、嬉しくもなんともなかった。 
 カーテンコールになり、ペトルもソリストたちも、満身の笑顔を合唱団にむけてくれたが、私はただ、ヒットラーが出てくるのが恐ろしかった。
 ヒットラーが出てきた。
 〈歌えなかったよ、ヒットラー〉
 情けない気持ちで、私はヒットラーを見た。
 ヒットラーは、笑顔で拍手をしていた。そして、自分がもらった花束を、合唱団にむかって投げ込んだ。
 グンジは、合格点をくれたのだ。
 でも、歌えなかった失望感は、心からぬぐいされなかった。
 〈だめだった、できなかった〉
 失意と落胆の入り交った寂しい気持ちで、私はステージに立っていた。
 カーテンコールも終り、お客様が席を立ち、帰りはじめた。
 グンジが出てきた。そして、指揮をはじめる。
 「きよしこの夜、星は光り、・・・」
 お客様が立ち止まる。拍手が起る。
 〈歌おう〉
 そう思ってグンジを見たが、グンジの姿が見えなかった。涙でかすんで見えなかった。
 〈歌えなかった。でも、終ったんだ〉
 そうだった。これで、全てが終ったのだった。
 なぜ涙が出たのかは、いまだによくわからない。だが、何だかとてつもなく大きなものが、ここまでくるまでの、苦労も喜びも、落胆もときめきも、そしてうまく歌えなかったことも、すべてを知っていて、許してくれているような気がしてならなかった。
 みんなわかっていて、その上で受け入れられているという安心感が心に広がり、人前だというのに、ポロポロと涙があふれた。
 合唱団退場の際、暖かい拍手が続いた。人からの賞賛に、こんなに素直に喜びと感謝を持てたのは、はじめてだった。
 泣いていて、足元を見ないでいたら、あやうく舞台から転げ落ちそうになった。楽屋にもどると、団長も泣いていた。私と団長は、かたく握手をした。
 しばらくして、リハーサル室にグンジがきた。私の20年間の第九の指導の中でも、かなりのレベルの第九ができたとほめてくれた。まんざら、あゆついしょうや、お世辞じゃなさそうだった。
 ペトルもソリストもオーケストラの人たちも、新星日響の関係者の人たちも、よかったとほめてくれた。お客様の感触でも、結構良い線いっていたみたいだ。私自身がどういうできだろうと、全体のハーモニーは、よかったようだ。
 いろいろな人がほめてくれたけれど、ただ、グンジがほめてくれたことだけが、嬉しかった。
 その後の六本木での打ち上げには、ヒットラーもやってきた。楽しい飲み会だった。ペトルに、みんなの代表として、贈物を渡すという大役を、幸恵さんイキなはからいでやらせてもらえた。
みんなの代表なんて、小さい頃からまったく縁がなかった私は、ノーベル賞のプレゼンテーターでもやるかのように、浮き浮きして緊張してしまった。ペトルは、やはり正統派のハンサムさんであったから、きれいな男の人が基本的に好きな私は、笑いがとまらなかった。
 10時半ころ、ヒットラーが帰るという。
 飲み会がはじまってからずっと、ヒットラーに声をかけようかどうしようかと迷っていた私に、もう一人の私が言った。
 〈今いかなけりゃ、もう二度とヒットラーには、会えないかもしれないよ〉
 決心すると、やたら行動は素早い私は、大急ぎでヒットラーのそばにより、
 「お世話になりました」
 とあいさつした。
 ヒットラーは、握手をしてくれた。
 大きくて、まるでグローブみたいな手。でも、フワフワしていて、弾力のある、しっとりとしていて、ちょっと冷たい手。
 こんな瞬間がくるなんて、10月27日には、想像もしなかった。
 はじめて会った時、なんて横柄で、いやな奴だと思った。ヒグマで鬼のように野蛮な危険人物だと思った。
 次に会った時、恐怖心と怒声に引きづられ、ただおびえているだけだった。怒り、不安、焦り、落胆が、滝のように心に流れ、ヒットラーグンジは、心の不幸の象徴としての存在を確立した。
 合宿ではじめて見た笑顔に、どんな人なのだろうと興味を持ち、そしていつの間にか、グンジを、美しい人だと思うようになった。
 気がつくと、ヒットラーグンジのことが、大好きになっていて、ヒットラーと普通に話せる人を羨ましく思っていた。
 16日の本番で、ヒットラーについていけば、必ず素晴らしい合唱ができるという信頼を、確立していた。
 そして19日の本番で、独裁者グンジは、絶対者グンジになっていた。打ち上げの時、ヒットラーと写真を撮っている子たちがいたが、その時はもう、羨ましいとは思わなかった。ヒグマでサソリでガラガラヘビだったヒットラーグンジは、こと合唱に関する限り、私の聖域になったからだ。
 ヒットラーにあいさつをすませてすぐ、副会長が先に帰るというので、店の外まで送っていった。副会長を送って店にもどろうとしてヒョイと見ると、店の入り口の近くに、ヒットラーが立っている。
 今ここには、ヒットラーと私しかいないのだ。今だったら、誰の目も気にせずに思っていたことを言える。私の待ち望んだ瞬間だった。頭の中に、言いたいことがあふれた。
 〈あなたのことが大好きです。小泉さんよりも、ずっと好きです。怖いけれど、すごくきれいな人だと思っていました。あなたの指導を、信頼しています。野蛮人だって影で悪口を言っていたんです。ごめんなさい。こんな素敵な経験をさせてくださってありがとう。あなたと会えて、本当によかった〉 
 ヒットラーが私を見た。いろいろな思いが胸にあふれたが、私の口から出た言葉は、たった一言だった。
 「さようなら」
 ヒットラーが笑った。私も笑った。
 小林先生が店から出てきて、ヒットラーは小林先生と一緒に帰っていった。
 その後、念願のヒットラーとお話すること(といっても、ただあいさつしただけだが)がかない、すっかり気持ちが盛り上がった私は、浮き浮きしてみんなとしゃべりまくった。あまりペラペラしゃべるので、団長が「悪酔いしているんじゃないか?」と心配して兄に言ったのだそうだ。
 六本木から自宅までのタクシーの中でもしゃべり続け、家につくと、布団にもぐりこみ、泥沼のように寝てしまった。
 次の朝、気分がスキッとしていて、やたら御飯がおいしかった。対照的に酔った私を連れて帰った兄は、ビール2杯しか飲まなかったくせに、朝っぱらから二日酔いで苦しそうだった。
 「今日も元気だ。御飯がうまい!」
 などと言いながら、ムシャムシャ食べ物を口に入れる私を、白い目で見ていた兄は、まったくもって御愁傷様である。
 凍りつくような冷たい風の吹く、青い空の広がる冬の道へ、いつものようにバイクに乗り、飛び出した。体の細胞一つ一つに、北風が吹き付ける。
 「ザイトゥムシュルンゲン ミッリオーネン(全ての人々を抱き合え)」
 大好きな冬、大好きな風、大好きなグンジ。
 〈いつかまた会える日まで、きっと元気でいてよね。ヒットラー〉
 体に刺さるような冷たい風を受けながら、いつもの会社への道を、なんだかとても幸福な気分で、私は走っていった。

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 それにしても、出逢いというものは、不思議なものである。もし1989年の新星日響の第九の演奏会が、素晴らしいものだったなら、私は決して合唱をやろうとは、思わなかっただろう。ヒットラーと出逢うことも、なかったろう。
 「この程度なら、私にもできそうだわ」
 そう思ったからこそ、合唱を始めた。そして、ゆきお君に出逢い、ゆきお君にいいところを見せようと思わなければ、絶対にやめていたであろうヒットラーグンジの練習に、毎回血を凍らせる思いをしながら参加し、ゆきお君との初デートをあきらめて、いやいや参加した合宿で、受けたくもないオーディションを受けて、落ちたおかげで楽譜の読み方がわかるようになり、いつも口をパクパクさせるだけで、ろくすっぽ歌っていなかった賛美歌が、歌えるようになってきた。
 合唱に対して持っていた偏見、ヒヨワ、暗い、軟派、というイメージも一変した。創造性のある、奥の深い作業であることを知った。
 ゆきお君には、その後も連絡をとっている。今度ゆきお君に会う時、私の方から、ゆきお君の彼女に、立候補するつもりだ。
 もしうまくいけば、バン万歳だ。
 しかし、たとえうまくいかずに、お友達宣言されてしまっても、私は、自分の心に素直に生きた。そして自分のできることを、全てやったのだ。
 もう自分を守ることに必死になっていた、弱虫毛虫の昔の私じゃない。たとえ、ゆきお君にふられても、またきっと、誰かを心から愛することができるだろう。
 どっちに転んでも、失うものなんて何もない。すべてが豊かに満たされるだろう。
 新星日響合唱団の合唱指揮者郡司博、彼は天の父が私に与えた、天使だったのかもしれない。
 「さあ、立ち上がりなさい。そして自分の足で歩いてごらん。お前には、ちゃんとその力があるのだから。心配するな。いつも見ているから」
 そんな天の父の声が、聞こえてくるような気がする。
 天使って、必ずしも、金のまき毛、薔薇色の頬、宝石のような目、カナリヤのような声に八頭身の体なんかを持って、登場してくるものではないようだ。
 天の父から私に贈られた私の天使は、ヒグマでサソリでガラガラヘビという、最悪スタイルで、私の前にあらわれたのだから。
 1990年に、父が私に贈ってくれたプレゼントの中で、一番素敵な贈物。それは、郡司博との出逢いだった。
 エンジェル ヒロ君
 新星日響合唱団のヒットラー、郡司博氏に、私がつけた秘密の呼び名である。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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