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 ・〜・〜 目 次 〜・〜・

 はじめに
1.「1989年新星日響の第九」の巻
2.「合唱ってこんなもの?」の巻
3.「ヒグマでサソリでガラガラヘビで」の巻
4.「恐怖心と怒声」の巻
5.「合宿第1日目」の巻
6.「風の中のグンジ」の巻
7.「野菊」の巻
8.「黒須先生」の巻
9.「オーディション」の巻
10.「美しい人」の巻
11.「本番に向かって」の巻
12.「1990年新星日響の第九
      IN東京芸術劇場」の卷
13.「エンジェル ヒロ君」の卷



≪第38回コスモス文学新人賞(ノンフィクション部門)受賞≫
  『新星日響合唱団のヒットラー・郡司 博』  中島 和裕


連載第4回(2005/4/14 更新)   →最初から読む
 4. 『恐怖心と怒声』の巻

 11月3日6時15分、神田パンセに着いた。もしゆきお君に約束していなければ、絶対こんなところには、二度と来なかったろう。
 見栄、このなんともくだらないもののために、人はおのが心とは、まったく分断された行動に駆り立てられる。
 見栄。人の心の矛盾が持つ、恐るべき力である。
 練習場の黒板には、自信がない人は一番前に座るようにと書かれていた。自信などというものが存在する訳もない私は、すごすごと一列目に座った。
 6時半から始まったヒットラーグンジの練習は、先週の練習よりも、かなり厳しいものだった。発音に関しては特に厳しく、一人一人立って発音させられた。当然第一列目は、よくさされる。まがりなりにもこの一週間、発音を訓練しておいたので、タドタドしくはあったが、なんとかその場はクリアーできた。だが、まだハードルは残っていた。
 歌の練習に入った時、915小節から916小節のところのリズムが、みんなバラバラだった。グンジはたいそう腹を立て、手当たり次第にそこができるかどうかさして回った。大半の人ができなかった。
 さされた人が間違える度に、
 「違う!」
 と練習場全体に響き渡るような、大きな声で叫んだ。
 「はい、あなた」
 ヒットラーが私をじっと見て言った。
 「トーフテルアウス」
 「違う!」
 不満と苛立ちを怒気にこめた、荒々しい口調のヒットラーグンジの声。
 〈この場から今、この男が消えてくれるのなら、一ヶ月ただ働きしてもかまわない〉
本気で私はそう思った。
 グンジは、また手当たり次第に爆撃を開始した。
 グンジは、あるテノールのおじさんをあてた。おじさんも当然できなかった。グンジはカミソリの刃のように、心にグサッとつき刺さるようなきつい口調で、
 「あんた、何回第九やっているんだ」
 と怒鳴り散らした。おじさんは黙っている。
 「えっ、何回やってんだ!」
 グンジはひつこく聞く。憎しみに燃えた、オオカミみたいな顔だ。
 「数十回です」
 おじさんが答えた。ヒットラーグンジは、
 「数十回やってできないあんたなんかには、無理なんだよ。行く合唱団を間違えてるんだよ。だいたいあんた失礼だよ。他の合唱団で落ちたからって、こっちに来たって、また落ちるだけだ。やめろよ。出て行けよ!」
 と、怒鳴り散らした。おじさんは青ざめている。
 一体こいつは自分を何様だと思っているのだと呆れ返るほど、傲慢で陰険だ。社会人としての言葉遣いのイロハもわかっていないらしく、たいそう非常識な奴だ。まるでブレーキのきかない暴走車みたいだ。
 「立っていろ、出ていけよ!」
 吐き捨てるように言うと、グンジはまた個人攻撃を開始した。
 アルトは、集中攻撃をくらった。アルトの女性をさしたグンジは、
 「違う、あんたよくない、前もよくなかった」
 と、ふてくされたように言った。
〈こいつ、根に持つ性格なんだわ〉
その後、少し人間らしい口調にもどり、
 「いいですか皆さん、まずこの二分音符なしで考えると、ここは何分の何拍子ですか?」
 と解説を始めた。二分音符も何分の何拍子も、そもそも楽譜が読めないのだから、何を言っているのか、さっぱりわからない。グンジが言っていることなんて、何も理解できない。
 一通り解説をし終わったグンジは、また個人攻撃を始めた。
一列目が順々にあてられた。
 「はい、あなたもう一度」
 自分が解説したものだから、みんなが理解しているものだと思ったらしい。一回言われてできるくらいなら、人間苦労はしない。
 たぶん当たるんじゃないかなと思っていたら、やっぱり次は私が当たった。
 自分で自分が何をやっているのか、さっぱりわからなかったが、とにかくリズム読みをしたら、歌えていたらしい。らしいと言うのは、ほかでもない。私は、自分ではリズムをきざめない。それゆえ自分がきざんだリズムが、正しいのか正しくないのかすら、わからないのだ。ヒットラーがアルトに背を向け、ソプラノの方を指導しているあいだが、ほんの少しだけ息を抜ける時間だった。だがなぜか、ヒットラーは、八割がたアルトを攻撃した。
 ヒットラーは、その後、テノールのおじさんにまたしても、
 「なんでいるんだよ。出ていけっていってるだろ」
 とライオンが吠えるみたいに荒っぽい声で怒鳴りつけた。
 〈ひつこい性格なんだわ〉
おじさんが気の毒で、まともに見ちゃいられなかった。こんな社会性のない人間を、指導者としてのさばらせている新星日響合唱団の真意が理解できない。
 一列目では、その日はちょうど私の隣の席があいていた。アルトの集中攻撃が続く。
 「息を回せ。喉を使って出す声じゃ使えないんだ」
 「出そうと思う音の一枚上を歌え。そうしないと低く聞こえるから」
 そう言うと、ヒットラーグンジは、実際に喉を使った声と息を回した声を出してきかせてくれた。確かに二つの声は明らかに違う。S氏とヒットラーグンジの指導方法の決定的な違いは、ここだった。ヒットラーは指示したことを実際にやってみせるのだ。
 だが、いくらやり方を実際に見せてくれて、その声の違いがわかっても、わかったから自分ができるのかといえば、そういうわけにはいかない。
 基本的に二列目、三列目でヒットラーの指示通りにできない人には、ヒットラーは特に厳しかった。
 三列目あたりにいたおばさんが、ヒットラーの指示通りにできなかった。ヒットラーは、
 「あなた、ここにきなさい」
 と、私の横の席に指差した。
 おばさんは、少しおとぼけさんだった。二人一組になって腰の少し上の側筋を押さえての呼吸法の練習で、グンジの指示を守らなかった。するとグンジはツカツカと寄ってきて、
 「違うだろ、あんた」
 と言って、おばさんの変わりに私の側筋をおさえて、
 「こうするんだよ」
 と見本を見せた。かかわりあいたくない、そばによりたくない、近づいてほしくないヒットラーが、ほんの三十センチと離れていないところにいるのだ。
 肩に力が入った。後で副会長が、肩がこらなかったかと聞いてきたが、会社にいる八時間よりも、よっぽど肩がこった。
 おばさんは、おとぼけさんだったから、悪気はないんだけれど、ヒットラーグンジの指示することを、少しはずすことばかりしてくれた。
 ドイツ語もスペルを書けとグンジが言うのに、カタカナで発音を書いてみたり、ここで入れという音から少し遅れて入ってみたり。
 その度に、ヒットラーはツカツカとこっちにやってきて、
 「あんた、なにやってんだ」
 と、激しくおばさんをなじった。
 〈めだたないでちょうだい〉
私は心の中で、おばさんに哀願した。
 ところがおばさんは、その日の練習で、目立ちまくってくれた。
 呼吸法の後、歌い込みが始まった。みんなヒットラーの言っているようにやろうとして一生懸命だ。顔を真っ赤にして声を出しているベースのおじさんやら、テノールのおにいさんやら。ところがヒットラーは、
 「一生懸命やりゃあいいってもんじゃないんだ」
 と無情な言葉をはく。
 「なんでもやりゃいいってもんじゃないんだ。やって悪くなることだって、いっぱいあるんだぞ」
 そりゃそうかもしれないけれど、それを言ってしまったら、アマチュア合唱団に存在意味がなくなる。みんなシュンとしてしまう。
 「もっとエネルギーを持って!」
 ヒットラーが怒鳴る。
 だが、恐怖心と怒声にひきずられるようにして歌っているため、リラックスできない。そのため、かえってできるものもできなくなってしまうのだ。
 しかし何と言っても、この日のもっとも注目すべき事件は、ともみちゃん事件だった。小学校五年生なのに合唱をやっているソプラノの、ともみちゃんという新星日響合唱団のアイドルの子が、ヒットラーに何か言われて泣いてしまったのだ。
 その時、ちょうど呼吸法の練習のため、後ろの人と組んでいた私には、ヒットラーが何を言ったのか聞こえなかったが、可愛そうに、ともみちゃんは、休憩時間中、ずっと泣いていた。
 「まだ思春期前期の多感な女の子を泣かせるなんて、この男には、優しさとか思いやりとかいうものは、ないのかしら」
 休憩時間中、激しく泣いているともみちゃんを遠巻きにして、副会長と私は、こそこそとヒットラーの悪口をいいあった。
 休憩時間後、ともみちゃんはアルトの方にきた。さすがにともみちゃんを泣かせたことは少しこたえたらしく、ヒットラーも後半の練習は、心持ち優しくなっていた。
 練習の終わりになって、ヒットラーはいつものガサガサ声で言った。
 「みなさん、合宿には絶対参加してください。自分ができるという絶対の自信がある人はかまいませんが、参加しないで歌えないなんていうのは許さないから」
 11月の10日と11日は、合宿が計画されていた。この合宿に参加しないと、出席率が七割にならないのだ。敵もさる者で、うまいこと考えている。
 練習が終わった。椅子を片付けていた時、ふいと目を上げると、ヒットラーと目が合った。ヒットラーは、厳しい目をしていた。こっちがみていると、
 「なんだ、ブスで下手なくせに、何見てんだ」
 と言わんばかりに横柄な目で睨みかえしてくる。しかも、絶対に自分からは目をそらさない。横綱に睨まれた前頭二枚目のような気後れした、なんとも情け無い気持ちだ。私は、負け犬のように、卑屈に目を背けて練習場を後にした。
 後で聞いた話だが、グンジはともみちゃんに、変声期前に無理して高い声を出すと、喉を痛めるので、アルトにいきなさいといったらしい。声楽科を出ているグンジは、専門家として適切な指導をしただけだった。しかし、子供を泣かせたという行為は、強烈なインパクトを私たち二人に与えた。
 「泣かないように言えないの? いい年して何考えてんの、あの人。あんな小さい子泣かせて、なにが楽しいのかしら」
 「厳しくするのも結構だけど、人には心ってものがあるのよ。まったく、これだから音楽家はいやよ」
 副会長と私は、兄を後ろに従えて、ヒットラーの大悪口大会を開催しながら、帰路につくのだった。
 帰りの西武線の中で兄が、
 「グンジさんの言っていることは、たしかに正当だよな。吠えるベースは聞き苦しいんだよな」
 と言った。
 ヒットラーグンジは、いろいろな音楽的なことを指示していたのだそうだが、そんなことは、何一つ覚えていなかった。そんなゆとりなど、全くなかった。ただ、ヒットラーに当てられたあの時の恐怖心と、ヒットラーに対する憎悪感で、心の中がピンと緊張していた。
 私は、自分で言うのもなんだが、小心者である。開き直ると強いのだが、開き直らないときは、小心者である。会社でも小心会なるものを設立し、その副会長をつとめていた。
 11月10日11日は、課の旅行会だった。会社勤めの女性なら、誰でもおわかりだろうが、旅行会といっても、それは百パーセント業務で、管理職達と一緒に、面白くもおかしくもないお酒を飲み、気を使うだけの、時間とお金と労力を使ってみんなが不幸になる非生産的な企画だった。
 合唱合宿参加のため、旅行会は、キャンセルしていたが、この独裁者と二日間一緒にいるくらいなら、まだ課のおじさんとお酒を飲んでいた方が気が楽かもしれないと、私はまじめに考えたのだった。
 帰宅途中、
 「合宿までに暗譜してこなきゃ、まあ怒られるだろうな」
 という無責任な兄の発言に、私は青ざめた。
 〈暗譜?〉
まだ全部正しくドイツ語の発音もできていないのだ。当然音もとれていない。それなのに、暗譜してかなきゃ怒られる。
 〈こりゃ、えらいことになった〉
 もしもう一回ヒットラーに怒鳴られるくらいなら、どんなに苦しい思いをしてもいい。暗譜していった方が、まだましだ。
 次の日、朝十時から夕方の三時まで、ぶっ通しで音とりをしながらピアノの前で歌っていたら、喉がひどく痛み、頭痛がして、ついでに吐き気までして、辛くて後は何もできなくなった。しかも、五時間も苦しい思いをして音をとったにもかかわらず、最初の方の簡単なところしか歌えるようにならなかった。
 歌というのは、一時間以上歌い続けてはいけないんだそうで、あんまり長時間歌うと、喉を痛めるのだそうだ。だが、そんな助言、やってしまった後に言われたって、まったく意味がない。
 とにかく暗譜だ。暗譜をしなければならない。
 テープにカラオケCDから、アルトのパートの部分練習のところを落として、ウオークマンを会社に持参した。
 昼休みは、ウオークマンをつけて、楽譜を見ながら練習だ。いつもは防音効果が抜群すぎて、社内放送が全く入らず、イライラさせる実験室を、このときくらい有り難いと思ったことはなかった。昼休みは、私の実験室のある二階を出入り禁止にして、ウオークマンをかけて歌った。
 そのころ、所内では、バレーボール大会が開かれていた。昼休みは、歌の練習で、球遊びどころの騒ぎではない。全然試合に出てこない私は、課の人達から、どひんしゅくを買ってしまった。
 11月5日に、ゆきお君から電話があった。
 「11日に一緒にラグビーを見に行きませんか?」
 ゆきお君の電話に、私は悲しくなった。
 11日は、会社の旅行会をキャンセルして、ヒットラーグンジの強化合宿に参加することに決めていた日である。これに出ないと、舞台には、まずのれそうもない。ゆきお君にいいところを見せたい。そのために、この誘いは断らねばならなかった。まさに、本末転倒とは、このことである。
 「ああ、ごめんなさい。絶対また誘ってね」
 情けない気持ちを押さえて、私は懇願した。
 ゆきお君は、
 「じゃ、またの機会に」
 と言ってくれた。
 電話を切ってしばらくボーとしてしまった。
 〈またの機会にって、ゆきお君は言ってくれたけど。なんの因果でゆきお君じゃなくてヒグマグンジと会わなけりゃなんないのよ〉
 現実が認識されるにしたがって、ムラムラとヒットラーグンジに対する怒りが込み上げてきた。心の中で、黒い炎が燃え上がっているような感じだ。
 〈ふざけるんじゃないわよ。オーディションするくらいなら、なんで公募したのよ。入団の時にオーディションしてくれたなら、こんなことにはならなかったわ。だいたいあのヒグマ、自分の去就を左右するほど大事に思っている演奏会なら、なんで八月から十月まで、助人指揮者に任せたのよ。最初から、自分でやればいいじゃない。モツレクの指導で忙しかった? そんなこと、私には関係ないわよ。大嫌い、あのヒグマ、本当に嫌い〉
 そして、その日から楽譜を開くのをやめた。
 〈どうにでもなりゃいいのよ。失敗して大恥かけばいいんだわ〉
 11月6日、前日あまりに激怒していたため、夜眠れなくて、昼間たいそう辛かった。
 11月7日、私は、楽譜を開いて音とりをしていた。もうけっして練習しないと誓ったのだったが、やはり私は小心者だった。怒りより恐怖の方が先行した。
 それにとにかく本番に出られれば、それを口実にデートできるかもしれない。
 窮地におちいった人というのは、自分に都合よく事実関係を解釈する者と、絶望感に打ちひしがれる者のツータイプがよく見受けられる。前者はお調子者に多く、後者は生真面目な人に多い。小心者だが、お調子者の私は、失望と落胆のうちに、合宿までに暗譜しようと、ピアノのキーをたたくのであった。
 暗譜。
 この漢字で書けば二文字ですむことを、実際にやろうとすると、まるで北極点を目指すスコット隊みたいに、いばらの道を歩まねばならなかった。
 何回やっても、ほんの簡単なところでも、暗譜はなかなかできない。それどころか、どう歌っていいのかわからないところが、ボロボロと、まるでクレパスのように私の前に立ちはだかる。四方をクレパスにはさまれ、途方にくれていると、一度間違って覚えると、初心者は、なかなか直せないものだという助言がとんだ。
 間違えて覚えるくらいなら、覚えないほうがましだと思って、今度はできなさそうなところは、全てすっとばしたら、一割も歌えないと言う事実が判明した。
 〈こんなに歌えなかったんだ〉
 改めて自分の実力のなさをみせつけられ、今更ながら、こんなに苦しむくらいなら、どうして夏にもっと真面目に音とりをしていなかったのだろうと後悔した。
 それはちょうど、中学生が定期試験の前日になって、ああ、もっと前から勉強しておけばよかったと、膨大な量の試験範囲のノートと教科書を広げている姿と、まったく同じであった。いくつになっても、失敗から学ぶことのない奴でも、こうして元気に生きているのだから、中学生の方々は、あまり物事を深刻に悩まなくても、人生はどうにかなるものである。
 11月8日、ゆきお君と私は、千葉で開かれた社内情報発表会で会った。会ったといっても、みかけただけである。
 ああ、いるんだと思ったけれど、あいさつしようとしたが目が合うこともなかった。発表会後の交流会でゆきお君を探した。だが、広い交流会の会場には、ゆきお君は見つからなかった。
 11月9日、どう頑張っても暗譜は無理であるという結論に達した私は、方向性の転換を余儀無くされた。
 〈暗譜が無理なら、せめて自分が歌えないところがどこかをチェックしよう〉
 目標のレベルを実にたやすく下げて、できていないところのチェックをした。
 どう歌ってよいのか訳がわからないものをAランク、おそらくこういうふうにうたえばいいんだろうなと思うけれど歌えないものをBランク、訳がわかっているのだが歌えないものをCランク、なんとか歌えるところをDランクとして、それぞれの合唱部分を差別化していった。 
 その結果は、一週間(途中一日さぼったが)かかって血のにじむほどの努力をし、練習したにもかかわらず、全体の98パーセントは、AからCランクに位置し、あとの部分も大甘判定をしてDランクという、ようするに、この一週間、あたしはいったい何をやっていたの? という情けない気持ちにさせるほどまでに、自分が歌えないという事実を、ただおのれに思い知らせるためだけに費やした、まったくもって、骨折り損のくたびれ儲けの惨澹たるものだった。
 知るということは、大きな喜びであるということは、一面真理である。しかしだてに練習をして、自分ができないということを知ってしまったため、ない自信がさらに地の底までなくなってしまい、明日からの合宿に対する恐怖心だけが、夏の陽射しを受けて咲くヒマワリみたいに、心にめいっぱい広がってしまった私にとっては、知らぬがほとけということばの方が、ずっと臨場感を持った。
 「ヒットラーグンジが病気になって、近藤先生がかわりにきてくれますように」
 夜、私は天の父に、本気で祈った。

 ベートーヴェン「第九交響曲」の合唱部分は十数分と短く、この曲が初めての<オーケストラ付き合唱曲だという人も実際多いのだが、リズムや言葉付けなど初心者には難曲で、しかも通常暗譜で演奏されるため、一度覚えたものを修正するのは本人にとっても指導者にとっても大変なのである。

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