巨匠ハンス=ヨアヒム・ロッチュを偲んで
〜ロッチュ先生追悼演奏会〜
2014年6月11日(水)19:00 ルーテル東京教会(新大久保)
出演者:郡司博(指揮)/山田英津子(ソプラノ)/星川美保子(ソプラノ) 郡愛子(メゾソプラノ)/土ア譲(テノール)/宇野徹哉(バス)
大井哲也(バリトン)/中島ゆみ子(ヴァイオリン)
山本伸子(ヴァイオリン)/恵谷真紀子(ヴィオラ)
吉岡次郎(フルート)/西尾杏子(ピアノ)/小林牧子(オルガン)
合唱:東京オラトリオ研究会、東京ライエンコーア
曲目:モーツァルト:モテットより『アレルヤ』 /バッハ『マタイ受難曲』より
バッハ『フルートソナタBWV1030』 第1楽章
バッハ『ヨハネ受難曲』より
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≪ロッチュ先生の思い出(出演者・共演者・スタッフ等の言葉から)≫
●ロッチュ先生を想う
郡 愛子(メゾソプラノ歌手)
郡司先生が初めてロッチュ先生をお招きになられた1997 年の「ロ短調ミサ」に出演させて頂きました。また、ベネフィットコンサート第1回目の2002
年、バッハ作品のコンサートでは、「マタイ受難曲」の“神よ憐れみ給え”を歌わせて頂きました。
ケンタッキーFC のカーネルおじ様像を見るたびに、何故かロッチュ先生を想い出します。あの優しい笑顔と豊かな包容力…ロッチュ先生の指揮は、演奏者、そして聴く人たちを、まさに神のおられる世界へと導いて下さったように想えます。
演奏曲目:バッハ『マタイ受難曲』より 憐れみたまえ(Erbarme)&バッハ『ロ短調ミサ』よりAgnus Dei
●山田英津子(ソプラノ歌手)
ロッチュ先生
バッハやハイドン、モーツァルトやその他沢山の音楽家と音楽談義にお忙しいですか?
時にはミューズの女神様たちと一緒に天上の音楽を楽しんでおられますか?
いつも真摯に音楽に向き合われ、厳しさと優しさを以て最高の音楽に導いて下さいました。まさにロッチュ・ワールドに!
初めてお会いした時はもう10 年以上も前のこと。教会音楽にまだまだ不慣れだった私に「もっと自由にどうぞ」とチャーミングな笑顔で仰って下さったことは忘れもしません。厳格で堅苦しい教会音楽、という勝手なイメージが一瞬にして消え去ったあの日から、ウキウキと心踊るような思いで歌っているのです。そして今、頂いた沢山の宝物を大切に胸に抱きつつ…ロッチュ先生に心から心から感謝申し上げます。
演奏曲目:モーツァルト:モテットより『アレルヤ』&バッハ『マタイ受難曲』より愛ゆえに(Aus Liebe)
●星川美保子(ソプラノ歌手)
温かいお人柄から溢れ出る愛に包まれた優しい音楽。ロッチュ先生と初めてご一緒させていただいた時、緊張のあまり固まっていた私の身体と心があっという間にあの柔らかい笑顔に癒されて解されていったことを覚えています。お人柄からファンも多かったはず。ヨハネ受難曲の時は合唱団の皆様からロッチュ先生へ日本人形のプレゼントがありました!先生は珍しそうに眺めてからキョトンとされて…。
だってお人形の顔がロッチュ先生でしたから(笑)。チャーミングでユーモアたっぷりの先生にピッタリのプレゼントでした。天国からきっと今宵も微笑みながら聴いてくださっていることでしょう。ロッチュ先生、素晴らしい時間をありがとうございました。
演奏曲目:バッハ『ヨハネ受難曲』より あふれる涙に(Zerfliesse,mein Herze)
●宇野徹哉(バス歌手)
我が家に「ペーターシュライヤーのマタイ受難曲」というタイトルのVHS ビデオがある。もう30 年以上前、私が留学する前にNHK の教育テレビで放映されたものを録画していた。指揮はロッチュ先生。福音史家がシュライヤー。合唱はもちろんトマーノ。オケはゲヴァントハウス。帰国して初めてマタイを歌う機会を頂いた時、このビデオは私のマタイにおけるバイブルとなり、バッハは…マタイはこうあるべきだ!という確固たる認識を持つことになった。
1998 年2 月、郡司先生からのお話でロ短調ミサを歌わせていただくことになり、その指揮者が何と…ロッチュ先生だった。ビデオの先生からは幾分お歳を召されていたが、マタイとロ短調の違いはあれど、バッハの音楽に対する真摯で愛情溢れる接し方を私たちソリストだけでなく合唱やオケの皆さんにも教えてくださったのを鮮明に覚えている。その後、マタイやヨハネも先生とご一緒させていただく機会に恵まれ、あのビデオで見たままの素晴らしい音楽に包まれ、先生は私のイエスを、ピラトを導いてくださったのである。先生の訃報に際し、心からのご冥福をお祈りすると共に、先生から頂いたバッハの魂を、これからも大切に歌い続けたいと思う。
演奏曲目:バッハ『マタイ受難曲』より我がイエスを返せ(Gebt mir meine Jesu)&我が心よ清くあれ(Mache dich
●土崎譲(テノール歌手)
ロッチュ先生に初めてお会いしたのは2007 年でした。11 月にラトケ氏のエヴァンゲリストでヨハネを、12 月に僕がクリスマスオラトリオという予定でしたが、12
月も演目変更してヨハネをやるということになり、急きょ準備することになりました。初めて歌うヨハネを11 月に入って準備を始め、まさに死にものぐるいでした。しかもドイツ語を母国語とする経験豊富なラトケ氏と2週間差で同じものを演奏するということで、そのプレッシャーは大変なものでした。11
月公演後にロッチュ先生と初めてピアノ稽古をしたところ、時間はあるか?と聞かれ、当初2回だけの予定だった指揮者稽古を計7回、2週間みっちりと指導していただき、本番を迎えることができました。
稽古でレチタティーヴォを繰り返し歌い、それでもロッチュ先生の要求するレベルに届かないとき、先生が仰った言葉が今も頭から離れません。「母国語でない君がこの曲に挑戦するという困難さは想像もつかない、でも私は教え続ける」
演奏曲目:バッハ『ヨハネ受難曲』より 心によく留めなさい(Erwage)&バッハ『ロ短調ミサ』よりBenedictus
●大井哲也(バリトン歌手)
あれは初めてご一緒させて頂いた時のマタイだったか。酷くお風邪をひいておられて本番でハンカチ片手に指揮を振られてました。一瞬の気の緩みから振り上げた指揮棒がスポンと手から抜けて客席へ飛んで行ったことが有りましたね。あの瞬間舞台上の緊張感がすっと抜けて和やかな空気になったのを覚えています。ぼくは数回しかご一緒しませんでしたがトーマスカントルが長年日本に来てくださることでバッハと日本との距離を縮めてくださったんだな?と思います。あと、郡司先生ととても仲が良くて、お二人が作るバッハが歌えて嬉しかったです。先生が縮めて下さったバッハとの距離感がまた伸びてしまわないように勉強して行きたいと思います。最後になりましたがバッハの音楽に包まれて安らかにお休みください。ありがとうございました。
演奏曲目:バッハ『マタイ受難曲』より 来たれ甘き十字架(Komm,s.sses Kreuz)
●小林牧子(ピアニスト・オルガニスト)
微妙な間合いと動きでバッハが現代によみがえる。自由で人間味あふれるロッチュ先生のバッハは、新鮮で驚きだった。先生は辛抱強い方だった。何年もかけて私たちを音楽の高みへと引き上げてくださった。私たちが音楽をしている限りロッチュ先生は復活する。最後の日本公演の時、いつもお伝えできずにいることがやっと口にできた。『ロッチュ先生の伴奏をさせていただけて光栄です』。
演奏曲目:バッハ『マタイ受難曲』より 来たれ甘き十字架(Komm,s.sses Kreuz)他
●ロッチュ先生の思い出
山本伸子(ヴァイオリニスト)
私が初めてロッチュ先生の指揮で演奏させていただいてから、既に十年以上の歳月が経過しております。これまでマタイ受難曲、メサイア等の演奏を経験させていただきましたが、毎回先生の人情味あふれる人柄に接し、感銘を受けたものです。最後にご一緒させていただいた際も、年齢を感じさせない若々しくエネルギッシュな演奏であったことを思い出します。どうか安らかにお眠りください。
演奏曲目:バッハ『マタイ受難曲』より 我がイエスを返せ(Gebt mir meine Jesu)他
●ロッチュ先生の思い出
恵谷真紀子(ヴィオラ奏者)
ロッチュ先生にはバッハの音楽はもとより、多くの事を勉強させて頂きました。特に印象に残っているのは、「歌が入っている楽曲は器楽奏者もテキストと言葉を理解して、それに添うようにフレージングや音質などを考えなさい。」とおっしゃられたことです。ヨハネ受難曲の「Erwaege」はキリストが十字架に架けられると決まった後のとても痛ましい、悲しい内容の濃いテキストで、バッハの素晴らしい音楽が言葉になるようにどうしたら良いか、ロッチュ先生の御指導の下で本当に良い勉強をさせて頂きました。
演奏曲目:バッハ『ヨハネ受難曲』より 心によく留めなさい(Erwage)他
●吉岡次郎(フルーティスト)
私にとってロッチュ先生と初めてご一緒した公演は2009 年のマタイ受難曲でした。その優しいお人柄と的確な指示に感銘を受けました。それ以来Aus
Liebe...を何度も演奏しましたが基盤はそこで出来上がったと思います。その公演の2 週間後に父が他界した事などを2011 年のマニフィカートやクリスマスオラトリオ公演の際に先生とお話させていただいた思い出があります。バッハを演奏する上での、和声進行に従いながらも頑なでない自由性など本当に勉強になりました。大変感謝しています。どうか安らかにお眠りください。
演奏曲目:バッハ『フルートソナタBWV1030』 第1楽章&バッハ『マタイ受難曲』より愛ゆえに(Aus Liebe) 他≫
●ロッチュ教授との思い出
牧野 成史 (指揮者)
私がロッチュ先生との出会いは17 年間暮らしたザルツブルクでした。先生は1989 年のベルリンの壁、崩壊後、故有ってザルツブルク、モーツァルテウム音楽大学の客員教授として赴任されました。あの時ヨーロッパは戦後最大の激動の時期で、東ドイツで公に仕事をしていた音楽家にとっては極めて難しい時だったのかもしれません。私がザルツブルクでバッハのカンタータの仕事の時、ロッチュ先生の部屋に合わせに伺ったときが初めての出会いでした。普通に優しい練習だったと記憶しています。それから3年間にわたって20回以上の教会コンサートを先生と一緒にさせていただき、貴重な経験となりました。そののち、先生の日本での活動は皆さんがご存知の通りです。ザルツブルグの大学教会の中庭でコンサートの始まる前、昔のライプツィヒの事やテノール歌手として活躍していたときの思い出話を楽しそうにしていらした先生が懐かしいです。あれからもう二十数年の月日が経過してしまいました・・・・
●親愛なるロッチュ先生
近藤直子(合唱指揮者)
NAO(なお)コーラスグループはH.J.ロッチュ先生指揮によるハイドンの「天地創造」から始まりました(なんと恵まれたことでしょうか!)。とかく理想を求めて音が苦になりそうになる私達をいつも「それでいいんだよ」と音楽への道へ導いて下さいました。その先生の大きさと深さをいつまでも忘れません。“BACH
に会ったら聴いてみる”といたずらっ子のような目をして答えて下さった先生。どうか空から私達を見守って下さい。
●大矢晴代(ドイツ語通訳)
手元に残る1枚のSuica。ちょっと端の破れたケースに入ったこのカードは、ロッチュ先生がご来日の度にお使いになったもの。成田でお見送りの時に、「じゃあまた次回までお預かりしておきますね」と受け取って、いま、そのままになってしまいました。改札でこれを取り出す意外に(!)細い指先、親指を唇にあててニッと笑うイタズラっ子の表情、コラール最後の和音を幸せなハーモニーに導く手のひら・・・連想はたくさんの場面をありありと呼び起こします。ドイツのパパ、ありがとう。さびしいです。
●錦織圭吾(NPO スタッフ)
初来日の際に、お互いに母国語しか話せない二人だけで買い物に出掛けた事から、ロッチュさんと私の距離はグッと近寄り、ライプツィヒの路面電車のプラモデルや
ミニカーに、指揮棒までも頂いた事もありました。次の来日では ブルートレインの鉄道模型をプレゼントしようと用意していたのですが、「また逢える」と思っていた私の手元に残ったままになってしまいました。とても寂しいです。
私のあだ名「ガマ」を使い、私を「mein gama」と呼んでくださったロッチュさんは、先生としてではなく 家族の様な存在の方でした。
R.I.P.安らかに
●松永浩平(合唱団スタッフ)
ロッチュ先生とは、成田空港に迎えに行ったり、練習や本番の後にホテルのある大塚駅までご一緒したりとたくさんの思い出があります。中でも心に残るのは、ロッチュ先生が指揮する『マタイ受難曲』に子ども合唱団の一員として何回か出演出来たことです。ロッチュ先生は子ども合唱の出だしの時に、体ごと僕たちの方に向き、いつもの優しい笑顔で合図してくれました。その時、ロッチュ先生の指揮で大人の合唱を歌ってみたいと思
いました。今思えばこのことが自分が大人の合唱団に入るきっかけだったと思います。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
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