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エッセイ・手記のコーナーには、コンサートのパンフレットに寄せて書いた投稿文や、日頃思っていることを連ねて行こうと思っています。(随時更新)。プロフィール・主なコンサートは下のリンクからどうぞ。

≪郡司博プロフィール
主なコンサート
 
≪エッセイ・手記のコーナー≫
2010/9/10 東京に帰ってきました
2010/8/31 私事ですが・・・
 
<バックナンバー 一覧>
≪エッセイ・手記のコーナー2006〜2007へ≫
2007/1/24新年のご挨拶
2006/3/14ヴェルディ「レクイエム」公演を終えて・・・
2006/3/4 こどもと大人のための交響歌〜ゆめ〜 のこと
2006/3/3 〜日本のこどもたちへ〜佐藤敏直の世界コンサート
2006/3/3 2台ピアノの「第9」&交響歌「ゆめ」コンサート
2006/2/7 2006年新しい年を迎えて(NPOニュースの記事)

≪エッセイ・手記のコーナー2005へ≫
2005/9/2ある映画の記者会見で
2005/8/12
子どもと大人のためのコラボレーション
2005/7/28
新聞記事〜『ミサで熱唱 宗教超え共鳴』
2005/6/13
「無理は禁物」はおたがいさま?
2005/5/24
記憶にない・・・ 〜昔の合唱団員の話1〜
2005/5/5
東京都交響楽団の契約楽員制度導入に一言・・・
2005/5/5
専属ピアニストとの出会い〜噂の真相〜
2005/4/24
「戦争レクイエム」の演奏会に想うこと
2005/4/24
長年連れ添った?ムーちゃんのこと
2005/4/14
ガリー・ベルティーニ氏、関屋晋氏の訃報
2005/3/18
新星合唱団創立30周年へのメッセージ
2005/3/16
ベルリオーズ「レクイエム」本番を終えて
2005/3/31
サタさんと東京大空襲(手記) ※読者からの反響メールをアップ
2005/2/19軌跡〜新星合唱団と安達団長のこと〜
2005/2/19
軌跡〜俺たちの交響楽・ライエン・コーア〜
2002/6/7
團 伊玖磨 『岬の墓』演奏に寄せ
 
 



≪東京に帰ってきました≫


お元気にお過ごしのことと思います

それにしても、まだつづいていますが、暑すぎる夏で大変だったこととおもいます。

私は、3カ月におよんだ八ヶ岳南麓での生活を終え、今日東京に帰りました。

これからは、東京と八ヶ岳を往復しながらの生活になります。

またご迷惑をかけると思いますがよろしくおねがいします。

実は、一昨日の早朝、素晴らしい富士山の朝焼けを見ました。

なかなか現地の人でもこの時期に見ることはできない光景だそうです。

すぐ飛び起き(実は僕の部屋からは富士山が一望できるのです)、もっともよく見える高原大橋まで車を飛ばしたのですが、もうそのすがたはありませんでした。しかし、そこからは八ヶ岳全景と南アルプスの雄大な景色が背中あわせに見えるのです。言葉ではいえないほどの雄大さです。ちょっと感傷的になり、背中を励ましてくれるようでした。時間があったら、どうぞいらしてください。これからは、紅葉がきれいだそうです。しかし天候次第なこともおわすれなく。

 ところで、いろいろな方から、ご心配の手紙やメールをいただいたのですが「元気ではありません」とか「元気になるでしょう」とかの返事を出せずにいましたが、今回はおかげさまで「13Kg減った体重も2Kgほど回復し、体力、気力とも、確かに快方に向かっています」と返信できるのをよろこんでいます。実のところ部屋を提供していただいた渡辺、所さんには、お世話になったというより、圧倒される日々でした。お二人の共同生活は40年になり、まさに研究学徒と音楽のある生活であり、多くの人々の幸せのため日々であったとおもわれます。今その瞬間の充実を求めて生きている姿は、朝食から夕餉の一杯にまで及び、今日のその幸せをかみしめているようでした。

 私の病状と言えば、「私の余命はどれくらいですか?」という意地悪な質問に「そんなに急ぐことはありませんよ、まあ、これからのことは神のみ知るでしょう」と担当医の見事な切り返しで、再発や転移に注意しながらの生活をすれば、条件はだれでも同じだと勝手な解釈をきめこむことにしました。精神的に落ち込んだ時、心をいやしてくれるのが八ヶ岳連峰の最高峰赤岳(2899m)に源流をもとめる「吐竜の滝」でした。その大きな岩場に座布団を持ち込み(お尻の脂肪がなくなり、骨がもろに当たって痛いため)座禅をくみ「死生観」やら「諦観」らしいものに浸る試みを何度かしたのですが、いつも頭によぎるのは、つまらない過去の出来事や、ここには書けないことばかり、「これは、死生観などまだ早い」のかと胸をなで下ろすこともしばしありました。
 そしてついには、座禅を組みながら、枯れ木を指揮棒に左右両手による三拍子と四拍子の振り分けの稽古をし、いつかこんな曲を指揮してみたいと空想にもひたったりしました。妻はといえば午前はスケッチ、午後はピアノを弾いてますが(ミスタッチがおおく、きこえるのでイライラ)、本職をわすれ、前の日の残りが食事に出てくることもしばしば、文句をいうと「それではじぶんで」とかえってくるのでじっと我慢です。

 この間の夏休みには、NPOが運営する立川の子供たちと、多摩のロータリークラブが発足時にかかわった子ども合唱団がやってきて歌を聞かせてくれました。僅か4,5ヶ月なのにこんなにも変化、成長するのかと涙がポロリという「老人性感傷病」もありました。

 退職後、何十もの素人趣味に忙しく明け暮れしている実の兄からは「山での、そんなに長い生活によく飽きないなー」と言います。が山は一瞬たりとも同じ姿をとどめなく、飽きることはありません。そんなこんな、で明日から、練習がはじまりますが、ブルックナーとドヴォルザークが果して振れるかどうかが心配になってきました。関係者一同の心やさしいご協力をお願いする次第です。      ぐんじひろし
2010年9月




≪私事ですが・・・≫


 今年の猛暑もひと段落したかと思いきや、残暑厳しい日々が続いておりますが、いかがお過ごしですか?体調など崩してはいませんか?

 さて、私事ですが、5月に緊急でしたが胃の十分の九の摘出手術を受け、その後、リハビリ、体力の回復ため合唱指導をやすませていただいております。
この間、有形、無形のエールをいただきどんなに励まされたことか、感謝の言葉もありません。

 ほぼ3ヶ月にわたり、八ヶ岳山麓に住む古くからの新星日響合唱団員の所桂子さん、渡辺泉さんの音楽ホール“セレナーデ”の部屋をお借りし、お二人の温かい友情と、山麓独特の豊かな空気と緑と水にかこまれ、自然が産み出す食べ物と恵みの中で体力を回復させ、日一日と元気になっております。
 私は日常の合唱練習に参加できなくなっていますが、以前から、注目していた若い音楽指導者にお願いすることができ、彼らの新しい技術と若々しさが合唱団の中にも、いい影響を与え、これまでにないクオリティーになれたことを喜んでいます。「完全復帰」はまだ遠いのですが、この練習スタイルを続け、九月からは静養、治療、音楽を両立させるために東京と八ヶ岳を往復し、月に2回ぐらいの予定で練習に参加したいと考えております。私自身も若い指導者の刺激とエネルギーを受け、これからもがんばっていきたいと思います。
 ピアノの小林牧子さんもこの1年余り、お母様の看病のためお休みしていましたが、そろそろ復帰の予定で準備しています。
もう、ご存知とはおもいますが、9月19日は小林さんがチェンバロを弾き、ザルツブルグからヴァイオリニスト、ヨハネス・クラール氏を招いた「カンマーザールサロンコンサート」があります。「洋と和のコラボレーション」と名付け、4月に(私の手術2週間前)録音をした藤井凡大の名曲『伊勢物語抄』を、また郡司 敦が作曲した「春のはな」を指揮いたします。また9月23日の「ブルックナーのミサ曲3番」は長年温めていた名曲です。お運びいただければ幸いです。
まだこれからもご迷惑をおかけするとおもいますが、よろしくおねがいいたします。

2010年8月末日


 
  指揮、合唱指揮
  郡司 博  Hiroshi Gunji

 指揮を故山田一雄、故ハンス・レーヴライ ン両氏に師事。
オーケストラ付合唱作品を、各地で数多く指導。東京都交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、旧新星日本交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団などプロオーケストラの代表的な演奏会でも活躍している。レパートリーはバッハ、ヘンデルから近代、現代のヒンデミット、ブリテン、ウォルトンにまで及び、特にバッハを中心とするオラトリオ指揮者としても活躍。
 また、ベートーヴェン『第9交響曲』の合唱指導は日本でも最も多く手がけ、公演数は450回を超えている。その指導力は常に高い評価を受け、松竹映画『俺達の交響曲』のモデルにもなった。また、文化庁派遣講師をつとめ、東北から沖縄まで広範囲に活動し、各地の合唱団に客演指揮者として招かれている。一方NHK主催による合唱コンクール審査員もつとめた。JVC(日本国際ボランティアセンター)主催のベネフィットコンサート『メサイア』演奏会には15年間欠かさず合唱指揮者として参加している。1987年より海外の合唱団との交流にも積極的に取り組み、ドイツ、オーストリア、日本において海外の合唱団と共にこれまでに7回の「日本・ドイツコーラスフェスティバル」を成功させている。またこのほかにもアイルランド、オランダ、イスラエル、アメリカ、韓国など、合唱音楽を通じた文化交流に力を注いでいる。
 2001年から「オーケストラとうたうこども合唱団」を組織し、オリジナル作品『こどもたちのための交響歌』、『マタイ受難曲』、『千人の交響曲』に出演させるなど、合唱活動を次世代、こどもたちに継承する活動を継続。2002年には、歌う人と聴く人のための合唱音楽の発信地、NPO法人「おんがくの共同作業場」を設立し、同時に地雷で傷ついたアフガニスタンの子どもたちに車椅子を贈るベネフィットコンサートを毎年開催している。



1989年 インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団マーラー『復活』で合唱指揮を務め、新聞誌上で絶賛された。
1990年 本邦初演のシュポア作曲『ファウスト』の公演において、ポーランド国立クラコウフィルハーモニー管弦楽団(指揮:ローランド・バーダー)と共演。
1989年、
1990年
(東京芸術劇場オープニングコンサート)故シノーポリ指揮による『千人の交響曲』。
1991年  故バーンスタインの遺志を継いで開催されたパシフィック・ミュージック.フェスティバルでマーラー『復活』の合唱指導を担当し、指揮者エッシェンバッハより絶賛を受ける。
ザルツブルグ大聖堂より、日本人として初めて招かれモーツァルト「レクイエム」を指揮、その後5回にわたり大聖堂コンサート、及びマリア被昇天祭ミサで指揮。
1994年 新宿文化振興会主催のマーラー『千人の交響曲』は新聞等にて大変高い評価を得る。
1995年 東京オラトリオ研究会が出演した、広上淳一指揮/日本フィルハーモニー主催平和祈念コンサート/フォーレ『レクイエム』が各方面から絶賛される。
1995年、
1996年
ベルリン・フィルハーモニーホールで、ベルリン交響楽団との共演でベートーヴェン『第9交響曲』(指揮:アラン・フランシス)に合唱指揮者として参加。
1996年 ダブリン聖パトリック教会でヘンデル「メサイア」を指揮、絶賛される。
1996年 リンツ・ブルックナー管弦楽団とのブルックナー『テ・デウム』において指揮者 M.ジークハルトと共演。
1998年〜 『たちかわの夏音楽祭〜国際クラシックコンサート』で6年間音楽監督を 務めた。
1999年 新宿文化振興会主催インバルとのマーラー『千人の交響曲』、ベルティーニとのヴェルディ『レクイエム』、日本フィルとのストラヴィンスキー『詩篇交響曲』 などに参加。
1999年〜
2000年
イスラエルにおいてウリエル・セガル指揮/イスラエル・インターナショナル・シンフォニー・オーケストラとマーラー『復活』、ベルティーニ指揮 /イスラエル・フィル/プラハ室内合唱団とのベートーヴェン『第9』演奏会に 合唱指揮者として参加。
2000年 ボストンにてハイドン『ネルソンミサ』を指揮。
2001年 チョン・ミョンフン指揮、アジアフィルハーモニー管弦楽団によるヴェルディ『レクイエム』及び『第9交響曲』演奏会で合唱指揮をつとめる。
2001年 ダブリン国立コンサートホールでモーツァルト『レクイエム』を指揮。
2002年 ソウルナショナルアーツセンター『第9』を指揮し、絶賛を浴びる。
2003年 オスロにてミッシェル・プラッソン指揮/オスルフィルとのベルリオーズ『レクイエム』に合唱指揮者として参加。
2004年 G.ベルティーニ指揮/東京都交響楽団とのマーラー『千人の交響曲』、ミューザ川崎こけら落とし公演のマーラー『千人の交響曲』に合唱指揮者として参加。
2006〜07年 合唱指揮生活40年を記念演奏会にて、ヘンデル『メサイア』、バッハ『ロ短調ミサ』、
モーツァルト『レクイエム』『戴冠ミサ』、フォーレ『レクイエム』を連続指揮。
2010年 オンドレイ・レナルト指揮、東京都交響楽団:マーラー『千人の交響曲』にて合唱指揮。
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