ケルン・マーストリヒト公演の旅日記
S 篠アみち子
1999.11.21 結団式
    
開口一番先生から、今度の公演に参加するには相当のレベルで臨まなければならない。
出演者の人数まで決まっていてオーディションに受からなければステージにのれない、
等々キビシイ条件を次々と並べられて、先程まで新星の本番で「ジョコンダ」を歌った
余韻の残る頭にビシバシひびいて倒れそうだったのを思い出す。
2000.1.10 オーディション
    
結団式以来毎日毎日先生のテープを親しく聞き続け、イスラエル公演も大いに楽しんだし、
何とかなるかナと気持ちを落ち着かせて、優しい瀬川先生のオーディションを受ける。
何とかなったようだ。
1999.11.23〜2000.3.8 練習
    
2月の「マタイ」合宿も含め、とにかく濃い練習が毎回行われる。現地は凍てつく寒さだという。
それに反して先生も団員も、心まで熱くなっている。今回は、先生も合唱に参加されるなんて嬉しい。
2000.3.13 出発
    
14時35分LH715便でいよいよ出発。 一足早く着いたベルギー組Bコースの人たちにネウスのホテル
で迎えられる。
2000.3.14,15 ケルンへ
    
ネウスのホテルでカレンさんの笑顔に会って、本当に公演に来たんだなと嬉しい実感。
復活教会で第一声。マイナルドウス氏は我々のドイツ語の発音が気になるらしくなかなか笑顔を
見せてくださらない。渋い表情に固くなりそう。
夜のリハーサルまでの時間KONGRESS TICKETを利用してボンまで行ってみる。ミュンスター教会と
ベートーベンハウスを見て廻る。東京より寒いのに、桜や連翹が美しく、落着いた町だった。
第二会場に移ってケルンの合唱団と合同練習、かなりの人数で年齢層も幅広くオラ研やライエン
コーアのようだ。歌う前にコーヒーやジュースの販売を手伝う。
発声指導と、ピアノ伴奏のチャーミングな先生には全員魅了されたようだ。
着いたホテルはなんと大聖堂間近で、とても快適そう、ゆっくり休もう。
2000.2.16 ライン川ドライブ
    
美しい川のながれを車窓から眺める。景観を守るためには橋を架けないドイツ人の気質。
不便でしょうに。シーズンオフなので観光客も無くローレライも貸し切りだった。
夜はゲネプロ。オケの響きにうっとりして明日が楽しみになる。
先生が静かだ、高熱が下がらない様子。お大事に。
練習場を出ると外は冷たい冷たい風が身を切る。
2000.3.17 「マタイ」本番
    
午前中は、ドームと、美術館めぐりで目と心を豊かに満たす。
大聖堂は巨大で威圧的だ。天に届けとばかりに聳える尖塔。鐘の音は澄んで美しい。
今夜の演奏会の成功を祈ってろうそくを灯す。
ヴィルラークリヒャルツ美術館では、ロイホナーやレンブラントなど憧れの数々の絵に会えて心が一杯。
ステージ衣装に着替えてロビーに集合、15秒後にホールに到着。
すり鉢状のフィルハーモニーホール満員の聴衆。ステージも円形状でこちら第1コーラスから
第2コーラスの方が見える。中央に先生の姿も見えて安心する。こんな晴れやかな場にいる自分
が信じられないようだけど、この日のために練習してきたのだから棒を見て周りの声を聞きながら
冷静に歌ったつもりなのに終曲ではどうしてもジーンときてしまった。
50回以上も「マタイ」をうたっているケルンの方は どんな気持ちなのでしょうか。
オケはもちろん、エバンゲリストもソリストも素晴らしかった。特にアルトのソリストが良かったと
O氏がシューベルトさんをお気に入りらしい。日頃交流の少ないアルトの方達と親しくなったけどケルン
のコーアの方は近くに全然見かけないままの、なんだかよくわからない打ち上げだった。
2000.3.18 マーストリヒトへ
    
ケルンから70km離れたオランダマーストリヒトへバスで国境を越える。飛行機に乗るわけでも
ないのにバスは空港に着いた。そこに今日から4泊するホテルがあった。46号室は2階のはるか
彼方にあった。運動不足が解消されるかな。
夜はあの広上淳一のリンブルクフィルを聞く。小柄な体を大きく動かし、のびやかな棒ですっかり
引き込まれてしまう。感動的だった「フォーレ」を懐しく思い出す。楽屋でサインまでしてもらって
皆にこやかなこと。
2000.3.19 セルファース教会合唱団
    
マーストリヒトは何とチャーミングなのでしょう。石畳の古都は落ち着いていてそして品良く友好
400年で賑わっている。オランダ最古の格式高いセルファース教会は、市のシンボルのようだ。
その美しい教会で早朝ミサを聞く。この合唱団と共演するなんてと、ちょっぴりひるんでしまう。
200年の歴史のコーアの方達も気品のある容姿で歓待してくださる。広場で突然先生の大声が破裂
して背筋がピンとなってしまった。お元気になられた証拠でしょう。
夜も続く練習ですっかり体が冷え込んでしまった。ホカロンや防寒対策にしっかり着込んできたのに、
しんしんと底冷えて・・…参った。 「ドイツレクイエム」は大好きな曲だけど、ペーター・セルべンティ
さん もう少しテンポあげてみてくださらないかしら。
それにしてもソプラノソリストのなんと可憐で美しいのでしょう。聞きほれて、うっかり出とちりそう
になりました。
2000.3.20 オケ合わせ
    
少々スタミナ切れなので 今朝はゆっくり出来るのがうれしい。60ギルダー分バスに乗って市内に
行き、カレンさんを囲んでフレンチのごちそうを頂く。
オランダ人の中には第二次大戦の恨みを持っていて、ドイツ人や日本人を好きでない人もいるらしく
カレンさんは英語を使っていた。
夜のオケ合わせ ステージ衣裳の見た目か、並びはケルンの時のように混じらないで別々に並ぶ。
音が高い天井に響きわたる。
2000.3.21 ピータースベルグの洞窟とドイツレクイエム本番
    
地下の採石場跡をカンテラの明かりを頼りに、案内人について進む。マーストリヒトの立派な教会の
材料を切り出したなんて 想像が大きくふくらむ。
へルボルトさんがおだやかに、そして、きびきびと指示したり案内して下さる。
こんな大事業を企画して下さっているなんて信じ難いような、東京でのベルボルトさん、あなたは
偉大な方だったのですネ 本当は。
洞窟から市内まで コーアの方達に送って頂いたけど、どこ迄もご親切なのに 心から感謝。
聖マリア教会に行き、その ほっとする雰囲気にしばし包まれ、本番の無事を祈る。
とんでもないホテルで一休みして、本番の支度をし、再び市内に出かける。演奏前にもサンドイッチと
コーヒーのおもてなしを受けながら、コーアの方達と民間外交のひとときを過ごす。
「ドイツレクイレム」がゆっくりスタートし、流れていく。今夜はもっとスローテンポでも良いのにと
思える位、終わりが近づくのが惜しくてならなかった。願いをこめた歌声は天にも届いたように思えます。
レセプションは、近くの大学の立派なホールで行われ、当日のプログラム、ポスターを頂き、教会ゆかり
のピンを胸にさしてもらう。
2000.3.22 帰途につく
    
早朝6時30分に出発の為、5時起床。食堂にはねむそうな顔が、でも元気そうに集まってくる。
9時出発Bコースの方達と、昇りはじめた朝日の盛大なお見送りを受けて バスはデュッセルドルフ
へ向けて発車。フランクフルト13時30分発LH710便にて成田へ。そして無事我家に。
2000.3.23 お礼のことば
    
今回の公演は、ケルンで「マタイ」、マーストリヒトで「ドイツレクイエム」をと、どちらも大曲で、
演奏会としては、今までになく重いものでした。それだけに、私には想像のつかない大変なご苦労や
お仕事があったのでしょう。カレンさん ヘルボルトさん 先生や伊田さん 皆様のお陰です。
本当に有難うございました。そして大成功おめでとうございます。