早瀬 スザンナ 今回のドイツ・ケルンとオランダ・マーストリヒトへの演奏旅行は、私にとって、合唱す ることに加えて、生まれた場所を見つけ出すことでした。私はケルンの、それもケルン・リ ンデンタールで生まれたことは知っていましたが、それが市内の何処なのか知りませんでし た。私がこれまでに見たケルンは美しくて、有名な大聖堂、ライン川と旧市街の一部だけで した。 ケルンに着いて、私達のバスは市西部の郊外、キリスト・復活教会に直行して、ケルン・ フィルハーモニー合唱団の音楽監督、マイナルドゥスさんの指揮で私達だけの最初の練習が ありました。それを無事終わって、私達は皆、次の練習会場に歩いて移動しました。そこは ケルン市の大きな練習会場で、マタイ受難曲のケルン・フィルハーモニー合唱団との最初の 合同練習がありました。 数年ぶりにドイツに帰国した私は本当に幸せで、ドイツの素敵な合唱団員との対話を楽し みました。しかし私が一番驚いたのは、私達が練習してきた場所が正にケルン・リンデンタ ールであると知った時でした。生まれて初めて、私は自分の生誕地に何の予備知識もないま ま、たどりつけたのです。私はこれは運命だと思いました。私は興奮し、この幸せを噛みし めながら、それからの興味深い練習とケルンの近代的な美しいフィルハーモニー・ホール、 そして非常に古い歴史的なマーストリヒトの教会での演奏会を心からの感謝の気持ちをこ めて楽しみました。今回、日本とドイツ、オランダの人達はバッハとブラームスの素晴らし い音楽を通して、ほかのいかなる政治的な力でもできない、遥かに親密な間柄になることが できました。 忘れる事の出来ない経験をさせて下さった、マエストロ郡司と疲れを知らないスタッフの 方々に心から感謝します。 |
B 島原 浩 ヨーロッパ公演がマタイ受難曲とドイツ・レクイエムとの魅力的な組み合わせプログラムとなると、私達夫婦にとっては、この機会を逃すわけにいきません。しかし、イスラエル公演の強烈な印象の後では、一つの通過体験であったのが帰国後の率直な感想です。
・ケルン・ムジーク:「各種演奏団体」、小屋を貸す「コンサートホール」と切符販売ネットワーク:「ケルン・チケット」が連携、合作作業して、2年先迄の各ジャンルに渡る演奏会計画を組織的に企画し、一冊子まとめているのはさすがドイツと感心しました。
・3月17日、近代的な扇型のケルン・フィルハーモニー・ホールで270名の大合唱団による「マタイ受難曲」。満席の聴衆もマタイは知り尽くしている模様、ステージ上の立場所も暗黙の年功序列があるようで、巨体に囲まれて見れば、彼らが東方から来た日本人が一体ドイツ語でマタイが歌えるのかなと内心疑うのも至極当然と納得しました。2,3人の聴衆の感想ばかりでなく、新聞評までが、独、日合唱団の音質は均一であったとの共通評価を聞き、現地ドイツ人達にとって、我々は余程異質のものと思われていたのかとひがみたくもなります。その意味では、我々日本人としてのプレゼンスを認識してもらう機会になりました。
私達のホスト・ファミリーはKoelnの西方40km余りMaarstrichtとの中間地点Juelich
在住で、Koelnには、単線のローカル線でDuerenまで出て、通勤列車に乗り、Koeln-
Ehrenfeldでまた市電に乗り換えて、練習会場までは1時間以上かかりました。
「1941年Berlinで録音のBruno Kittel
指揮、Berlin Phil.とBruno Kittel合唱団のMozart:Requiemの復刻CDはソプラノ・ソロ
の歌詞Te decet hymnus ,Deus in Sion はDeus in coelis に、in Jerusalem はhic in terra
と、ユダヤ色を一掃しようと聖歌の歌詞を置き換えていた。ちなみに同年イタリヤ・ロー
マで録音されたVictor de Sabataによる同曲は聖歌テキスト通り歌われている事も確認し
た」
そうです。 3月末に、ローマ法王はイスラエルに贖罪の旅をされています。演奏会当夜には、Freiburgから母親をはじめ、甥夫婦、子供3人と一族郎党が聴きに来 て(この点もオラ研に似ている)、翌朝には演奏を聞いた近所の人達が入れ替わり、訪れて きては「昨日の演奏は良かった」と感謝と感想を話してお茶を飲んでいく、その中には現 在Juelich合唱団を指導している元聖トーマス教会のオルガン奏者の老人もいました。誰も が合唱の音質は均質であったと同じ感想。母親を始め、子供達、近所の人と結構、英語で 会話できたのも予想外でした。翌日Cairoへの演奏旅行出発を控えて、何も準備をしてい ないホスト夫妻は二人の旅行カバンや靴をその日、土曜日の閉店前に買い揃えなければと パニックの状態の中、家族に別れをつげHeerlemのコンサート会場まで送り届けて頂きま した。 最後に今回の公演企画に尽力されたカレンさん、ヘルヴォルトさん、他スタッフの方に心 から感謝しています。 |
A 和田 暢子
今回の海外公演の演目であった"マタイ受難曲""ドイツレクイエム"は共に思いで深く、私にとって大切な曲で、それをヨーロッパでしかも現地の合唱団と一緒に歌うなんてそうある機会ではなく、自分がこれらの曲に感じているものを向こうの人達がどう感じているか是非自分の耳と肌で感じてみたかった。それに今回はケルンでは初めてのホームステイということもあり期待と不安で内心ドキドキしていた。 |
鈴木耕治
* イスラエル公演に続いてケルン・マ−ストリヒト公演があり、比較的短い期間に5回の海外ステ−ジを経験した。なお続いてボストン公演がある。郡司先生がテルアヴィヴで大声でいわれた「皆さんは、何の努力もされることなく海外のステ−ジに立っておられるが………」という言葉が(そのときは、「しっかり歌わんか! この……」という檄であったが)今は文字どうりの意味において、忘れられない。私たちの大部分は、海外公演の実現には何の力にもなっていない。すべて郡司先生と先生の知己であられる指揮者・音楽家諸先生および数少ない外国人合唱団員の大変な努力で実現している。他のアマチュア合唱団には例をみない快挙に、まずもって深い感謝を捧げる。また、パズルのような参加者の行動を掌握し、練習・移動・会計などを正確に処理した事務局も見事で感謝のほかない。
* 今、すべての領域で国際化がすすむ。私が合唱よりは少し詳しい登山の世界でも、日本の冬山で十分練習してないまま海外登山を目指す人は多い。危ない。私が海外公演参加を申し込むとき、まず悩み、心配になるのはこの過ちを犯していないかということである。登山の場合は、自分の技術以上のことをすれば怪我をするか、登頂できないか結果がはっきり出る(まれに幸運が重なって成功することがあるので困るが)。私たちの合唱の場合は自分が海外公演に参加できる域に達しているのか、はっきりとは分からない。自分で分からないのは未熟である何よりの証拠ではあるが、つい自分だけ「できてるつもり」になりやすい。練習皆勤でも駄目は駄目であるし、共演の相手や歌う曲によっても合格点は上下する。結局、私は、今回の準備も、不安を残したまま精一杯の時間を練習に当て、オーディション(マタイ)を真っ先に(男声)受け、補習(ドイツレクイエム、男声4人、これほど強力な練習はない)も受けて、「まあいいか」とあやしげな自己判断をして参加した。客観的評価は公演後、指揮者とお客様に聞くしかない。私は、内部選考のようなオーディションを必ずしもいいとは思わない。できれば出演を希望し、時間と費用負担(ローンもある)の許すもの全員で外国のステージに立ちたい。海外に出るメンバーは、われらのベストメンバーと同じ(または合唱団を代表できる)力量と国際舞台の最低水準を下回らないであろう準備を自主的にして出かけることが必要であり、それが招待して下さった方と実現に努力して下さった方への礼儀であると考える。厳格に国際水準を考えれば、私は行かれないのかもしれない。でも実力ある人が出て、海外での合唱が美しくなればそれでいい。本音をいえば背伸びしないほうが合唱は楽しい。しかし背伸びしなければ進歩もない。 そうそう、今度の旅行は少し楽しすぎた。演奏旅行はこんなに楽しくてはいけないものなのであろう。ちなみに登山の海外遠征は、こんなに楽しくはない。
* さて、5回の海外ステージで私たちと共演して下さった合唱団は、次の5つであった。
1 The Ramat Gan Chamber Choir 12/28,29. エルサレム、 「復活」
どの合唱団も一つの都市あるいは一つの国を代表できる力をもつ。ほとんどはプロまたはプロ+セミプロ、もしくは現役の教会合唱団(レベルの高いアマチュア)。共通して宗教合唱曲を最も得意とする。プラハ室内合唱団はリリングさんの指揮の「メサイア」で日本の聴衆を感動させ、なじみ深い。ケルンのフィルハーモニッシャー- コールの団員たちは、自宅を日本の合唱団の宿舎に提供して暖かく、あるいは開放的に迎え、ケルンフィルと共演のCDを私たち全員にプレゼントして下さった。また、カペラ- ザンクティ- セルヴァティの合唱団員は、私たちを5〜6人のグループに分けて、歴史あるマーストリヒトの町を歩いて案内してくれた。その時の歴史と宗教の説明の丁寧なこと、正確に覚えていること、合唱だけでなくヨーロッパの女性の気品と教養を見せて下さった。言葉が通じなくても、終始にこにこと通ずるまで予定時間を越えて話して下さった。私はこの5つもの合唱団と同じステージに立って、発声・発音・アクセント・ウムラウトなど「実物」を聴いて、なるほどと思うことが数多くあった。が、それとならんで、これから海外との交歓がすすめば、彼ら・彼女らのしてくれたのと同じ程度のことがごく自然にできるようにならなければいけない。むずかしいことだが、海外公演とはそういうことを含むのだとはじめて気付いた。また、回を重ねることになれば、観光客気分でいては公演先に私たちのファンはできない。今回、私ができなかったケルンのホームステイをなさった皆さんは、立派だと思う。宗教曲合唱がヨーロッパという風土にしっかり根付いている以上、これからもヨーロッパに出かけて(来ていただいて)勉強すべきことがきわめて多いと感じた。 * 海外公演をどう考えたかは、結局郡司先生が作り上げたこのすぐれた合唱団組織をどう考えたかにかかってくる。コンサートのチケットを必ず買ってくれる友人Fのように 「オラ研の魅力は二つ。一つは150 人をこす大合唱。常時練習している大合唱団はどんどん減るよ。小人数の、機械のようにピタッと合う合唱もいいが老若男女の大合唱はいろんな声聞こえて人間的でいい。圧倒的なフォルティシモがあればもっといい。二つ目は一途さ、素人のもつ一途さだよ。手慣れた調子でマタイはかなわん。」という人もある。趣味の範囲で合唱を楽しむはずが、巨匠と呼ばれる指揮者のオーケストラや世界でも一流の合唱団と共演するにおよんで、趣味ですと済ましていられなくなってしまった。海外公演が老人の音楽ツアーでなく、若い団員の経験を積む機会となることを願ってやまない。 |
長尾 佳子
エジプトへのコンサートツアーは如何でしたか? たくさんの、愉しい思い出を持ってお元気で帰国され、お仕事に復帰していらっしゃることと思います。有給休暇、年間6週間とお聞きして、とても羨ましく思いました。ご出発の前日なのに、皆さまでマーストリヒトへ旅立つ私たちをお見送りくださり、ほんとうにありがとうございました。 心からの感謝をこめて、ごきげんよう |