N 佐村河内氏 作曲偽造問題について            郡司 博  2014/2/23

私は長年にわたり「オーケストラと歌うアマチュア合唱団」を指導し、またプロオーケストラから依頼され定期演奏会などに出演させていただいた立場から、 今回の作曲偽造問題について、自分自身の考えを述べる責任があると思いペンをとりました。

この問題は産地偽造問題と少し似ています。ある生産者が作った作物を、大手老舗業者が生産地名を誤って消費者のもとに届ける。つまり、偽装作曲家がゴーストライターに 書かせた作品を大友直人氏&東京交響楽団という代表的な指揮者とオーケストラが、「偽造」を発見できず、CDを販売してしまったことです。 CD録音に際し、指揮者、奏者、作曲家の間で最低限度のコンタクトもなかったのでしょうか? 現存する作曲家が自分の作品の録音に立ち会わないということがあり得るのでしょうか? このレコーディングを企画したプロデューサー、音楽事務所は? 残念なことにこの作品の演奏録音、CD発売に至る経過について、大友直人氏を含めた関係者からいまだコメントがありません。 それらまだ現れてこない関係者が正確に事実と経過を発表しないと真相は見えてきませんし、クラシック業界への不信はぬぐえないと思います。
偽装作曲家との2回のインタビュー記事を書いた朝日新聞の記者吉田純子氏は2月11日付文化面で「もう(佐村河内氏からの)答えは来ないであろうそれらの問いを、今後は自分の筆へと向け、 自戒の礎としたい。」と書いています。
「私も共犯者です」とのゴーストライター新垣氏の発言は真実と思います。彼がどんなに有能な作曲家だとしても、18年間偽りと知りながら佐村河内氏のために作曲したことは、 芸術以前に社会から糾弾されるべきだと思います。このゴーストライターが教鞭をとっている桐朋学園では、教え子たちが解雇反対の署名を始めたとの事。 彼を、そしてその作品を愛し期待する人々は彼自身が吐いた言葉を真摯に受け止めるべきではないでしょうか。今後何年も先に、彼がその重みと苦難、苦境の中で、 新しい作品を生み出す可能性も残っているかも知れません。
書道界でも「架空人物に知事賞」などが話題になっている昨今、改めて関係者は正確に事実と経過を開示すべきだと考えます。


M 音楽のもつちから            郡司 博  2006/9/22

音楽を職業としない、いわゆるアマチュアの人達が演奏会に出演するには、練習に充分時間をかけ、チケットを買ってもらうなどの負担と困難を伴うけれども、 ステージに立てることは、人生の中で喜びと輝きのある瞬間に違いないでしょう。ある人にとっては定年後の楽しみであり、また介護しなければならない家族を抱える人にとっては、 励みにもなっています。一言では言い表わせませんが、それぞれ一人ひとり、様々な状況と経過の中で、このコンサート活動に参加することが、生きることへのエネルギーの源になっています。 そこに参加する指導者は、日々音楽の持つ力を実感させられながら、この仕事の重大さに気づくのです。また共に演奏するオーケストラやソリストたちも、一体感のある音楽づくりに 大きな貢献をしています。
海外からのオペラ団やオーケストラ、また一流アーティストなどの来日は留まることを知りませんが、私たちがやってきたステージを一体感のあるものに創りあげ、それを聴衆と共に分かち合い、 継続・発展させていこうという、共同作業場の理念と実践はますます重要な役割を担っていると言えます。
その中でも、今までのレパートリーにない新しいオーケストラ付き作品(たとえばフォーレ&メサジェ「ヴィエルヴユの漁師のミサ」、ラター「こどものミサ」、 コダーイ「テ・デウム」)を取り上げたり、こども合唱団がオーケストラと歌う機会などを作りながら、「おんがくの共同作業場」の活動は注目され始めています。私たちの活動は マスメディアを賑わすほどの派手さと拡がりは未だありませんが、そこに参加する演奏者、聴衆に存在の意味を知らせることには成功していると言えます。

ここに一例ですが、この文章を紹介させていただきます。

 重い障害を持つ方達が親元から離れ、住み慣れた地域で生活していくための場所に、「重度知的障害者グループホーム」があります。(中略)
M君(26歳)は、山梨から大きな不安を持ちながら来たことと思います。(中略)いつも集団の中にいることが難しく、玄関先の椅子に座っているか、椅子から立ち上がって外へ出て外を眺めているM君。言葉は「マーマ、パーパ」だけ。(中略)散歩後のBGMに6月3日におんがくの共同作業場設立5周年で演奏された〜こどもと大人のための交響歌〜「ゆめ」を流しました。するとM君は音楽が流れているのを聴きつけ、自らCDデッキの前まで歩いていき座って聴いていました。その晩、同じ曲を流すとM君はじっと椅子に座って曲が流れるごとにうれしそうな表情を見せ、立つことなく笑顔で目を輝かせてじっと聴いていました。オケの音、子どもの歌声、大人と子どもが共に歌う合唱がM君の心の中に響き渡ったのだろうと思われます。これは一瞬の小さな出来事ですが、今後も重い障害を持つ入居者さんの小さな変化に常に目を向けていきたいと思います。(中略)
入居者さんは音楽が大好きです。歌うと、とてもいきいきとした表情が見られます。音楽は、本当に不思議な力があるなと思いました。音楽を通して人と人とのかかわり、心を豊かに出来ればと思います。(後略)

                                 重度知的障害者グループホームで働く合唱団員より


L 2006年9月17日 モーツァルト『レクイエム』 立川SDA教会にて          郡司 博

生きる気力すら失わせてしまうほどの猛暑の夏も終わりに近づいていることを、わずかな秋風が教えてくれます。
9月17日に迫ったコンサートは、地域社会のなかで気軽に音楽を共有できる、音楽活動の原点の場だと思っています。
ソリストを紹介すると、ソプラノの秋本さんは高校時代からの合唱団員であり、今では中学生の一人娘を立派に育てる母親でもあります。働きながら個人レッスンにもつき、 その意欲は衰えを知らず胸を打たれます。アルトの曽我石さんは合唱歴は非常に長く、教員という声に負担をかける仕事をしながら歌い続けるのは大変だったと思いますが息長く歌い続け、 今では自分の演奏の形を発見するまでになっています。テノールの小岩井さんは稀に見る美声の持ち主だが、理想は高く絶えず発声の事を悩みながらも 日々成長を遂げている。バスの小林さんは国立音大の声楽科を卒業し、声質、声量ともプロの歌い手に引けをとらない。今でも忙しい教員生活の合間を縫いながらも レッスンをうけています。いつかはリサイタルを開いてくれるだろうと僕は期待している。
2台のピアノを担当する アンサンブル・ブリランテ(小林さん、中村さん)は僕のもっとも信頼する女流ピアニストです。オラトリオ・シンフォニカ木管アンサンブルも 気ごごろの知れた仲間です。
10月13日の芸劇での同一プログラムによるコンサートも準備万端に進んでいます。この時期自分たちだけの力でこのコンサートをハイレベルで成功させることは意義深いことです。 またこの作品を指揮できるのは指揮者冥利につきます。


K 2006年 年頭にあたって     特定非営利活動法人『おんがくの共同作業場』 代表理事 郡司 博

 この一年間のクラシック音楽の興行界を取り巻くグローバル化?は一段と進み、特に声楽の分野では日本人声楽家との実力の差を、これみよがしに見せつけるように、ヨーロッパ各国から競ってオペラ団が来日。地方公演もこなし、二期会、藤原歌劇団などの地方公演は激減しています。このことはオーケストラ界にも少なからず影響を与え、日本音楽界への大きな打撃になることでしょう。
日本の聴衆も大きく2つの層に分かれ、海外と日本のものを区別して聴くようになっていると思われます。
その中で<おんがくの共同作業場>は、設立の趣旨に沿って、オーケストラと歌うよろこびを拡げる活動を通して、子どもたちにもオーケストラつき作品の公演参加を進め、そしてコンサートを通してのベネフィット活動も継続するなど、独自の道を開拓しつつあります。

 昨年12月に行われた『メサイア』は原曲の半分を抜粋にして、オーケストラ曲、こどものクリスマス・メドレーでコンサートの色彩を広げ、広範囲な層の聴衆に満足していただけるようなプログラムにしました。また、東京荒川少年少女合唱隊の40周年記念演奏会は、こども合唱団がプロ・オーケストラに出演を依頼するという稀な取り組みをしました。これもオラトリオ・シンフォニカJAPANによる経済的、音楽的協力があってこそ、実現できたことです。また、大人の混声合唱団も加わったスタイルは、これからのコンサートのあり方のひとつを示唆しました。

 今年はモーツァルト生誕250周年でモーツァルトの『グレートミサ』と『レクイエム』に取り組みます。昨年の『メサイア』の成功にも刺激されてか、初回練習から200名を超える参加申し込みがあり、練習回数を重ねる度新しいメンバーが加わっています。モーツァルト『レクイエム』を指揮するH.J.ロッチュは、東西統合以降、西側での演奏ができません。唯一ザルツブルグでの夏の音楽祭時期に毎年5回から8回行われるカレッジ教会での『レクイエム』の連続コンサートは大好評です。そのロッチュを迎えての『レクイエム』は新たな感動を与えてくれるに違いありません。
 3月にはレナルトを迎えて、新宿文化センター主催のヴェルディ『レクイエム』が演奏されます。新宿文化センター主催のオーケストラを迎えての大型のコンサートはこれが最後になるという情報があります。一流指揮者を招いてのマーラー『千人の交響曲』、『復活』、ベルリオーズ『レクイエム』など、文化センター開設以来20数年続いてきたこの種の大型コンサートも“官から民へ”という文化行政の方向転換の中で消えていくことは嘆かわしいことです。一般の音楽愛好家が気軽に低料金で良質の音楽を楽しむ機会が、こうやって減っていくのかもしれません。

 これらの状況にあっても、合唱愛好家やプロフェッショナルな音楽家との連携を強めながら、子どもたちの音楽的成長に確信を持ち、自らの力でこの文化を継続し、次世代に伝えていく独自の方向を、私たちは模索しなければなりません。


J 聴衆から愛されるオーケストラ
    オーケストラから信頼される合唱団へ
    郡司 博 2005/6/4

私の青少年時代の人気ものの代名詞は『巨人・大鵬・卵焼き』であったが、最近では、この強いものの象徴、二つの印象は薄くなってきた。
日本でのオーケストラ活動の起点、新交響楽団(N響の前身)が1926年に創立されて今年で79年になる。団員の自主運営によるオーケストラとして新星日本交響楽団が1969年に誕生するが、その直前、東京交響楽団・楽団長の経営苦難を理由とした入水自殺という不幸な事件もあった。2001年、その新星日響が東フィルに吸収合併される中、合唱団と共に歩むオーケストラを目指して<フィルハーモニカ・トウキョウ>を創立したのである。
しかしこのオーケストラは、音楽大学の学生オーケストラやそのクラブ活動の延長線上を越えることはできず、プロとしての実力と社会的経験も浅く、主体的に音楽を作ることに欠けているように私には思えた。

そこで、ザンデルリンク氏の強い要望でメンバーに加わったオーボエの前川光世氏が中心となって新たなオーケストラづくりが始まり、バッハの権威H.J.ロッチュ氏を迎えたバッハ・フェスティバル2003、2004のコンサートを機に、何を志向するオーケストラなのかを明確にした<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>が誕生したのである。
オラトリオとはオーケストラ、合唱、独唱者が一体となり成立する声楽作品群であり、すべての作曲家が全心全霊をこめた作品分野である。<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>は声楽曲を演奏するオーケストラであると同時にシンフォニーをも演奏するオーケストラとしての性格を持ち、その名を冠とした。
  <オラトリオ・シンフォニカJAPAN>は、芸術表現の実績のあるプレイヤーが集められ、コンサート毎に個々の楽器群による演奏や、小アンサンブル、また団員相互の自発性に裏づけされた指揮者なしの演奏も試みてきた。昨年オンドレイ・レナルト氏を招いてのドヴォルザーク『スターバト・マーテル』の演奏会でも、前プロにはレナルト氏の指導を受け、指揮なしで弦楽器のみによるセレナードを好演したし、4月10日のモーツァルト『レクイエム』演奏会でも第1部に小編成、中編成による指揮者なしのアンサンブルを披露した。また、5月22日のスッペ『レクイエム』の前に、ブラームス『交響曲第1番』がザンデルリンク指揮により演奏された。

これらは、オーケストラ独特な繊細な音楽作りに役立ち、合唱や独唱者と協演することによって音色の多様性とスケールの大きさを得ることにもなり、プレイヤー 一人ひとりの演奏上の責任を明確にする成果につながった。自明のことだが、プロのオーケストラは(個々のプレイヤーもそうだが)、何よりも聴衆から愛されなければならないし、共演する合唱団からも音楽家として、人間として尊敬を受けなければならない。また、合唱団はプロオーケストラの共演者として、信頼に応えるべく、実力の向上に努めなければならない。そして何よりも重要なことは、練習が≪共同作業≫への緊張感と喜びに満ち溢れることである。海外での活動を含め、演奏実績の豊富なプレイヤーを集めたこの<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>と合唱団との音楽作りと、オーケストラ経営の≪共同作業≫は、これからの日本のクラシック音楽界でのオーケストラの在り方にも一石を投じることになるだろう。
これだけ多く、海外からオペラ、オーケストラ、合唱団が来日し、各地でハイレベルな演奏を展開し、各公共ホールが多額の税金を放出する中、時代の違いはあるにせよ、新響創立の起点まで顧みながら、聴衆の満足を創り出す新しいオーケストラを支える輪を広げなければと思う。

折しも、東京都交響楽団が終身雇用制から、契約楽員制度導入に踏み切るという事件の中、聴衆からも、共に演奏した合唱団からも≪都響のプレイヤーを応援しよう≫とする運動が起こらなかった教訓がここにある。


I 2005年 年頭にあたって  特定非営利活動法人『おんがくの共同作業場』
                                        代表理事 郡司 博

日本音楽界の昨年1年間を振り返ると、グローバル化したクラシック音楽市場のトップにランクされていることは間違いないし、ベルリンフィルとウィーンフィルが東京で同じ時間に別々のホールで演奏しているなど、これまでの常識を打ち破るような出来事が相次いだ。また、オペラ団の来日と演奏回数は数えられない程多い。各コンサートで撒かれるチラシのほとんどが外来アーティストのものであり、専門音楽雑誌も同じである。そのよしあしと、外来アーティストと日本人アーティストの実力の差を別としても、政治、経済と並び、文化の自立を考えたときに、その異常さを多くのファンも感じながらも、それらの高額なコンサートに足を運んでいる聴衆がいる現実がある。

 それに引き換え、日本のオペラ団体などは、公演ごとに数千万円の赤字をかかえ、出演者のチケットノルマ制など、以前より厳しくなり、今後のことを考えると楽観できない。又、石原都政は小澤征爾に長期間東京文化会館を無料で提供し<東京の森オペラ>を発足させるなど、末端で働く人々のことには行政の目は届いていない。本来、芸術や文化、またはスポーツにたずさわる者は、そのことがどんなに貧しく、評価に乏しいものであったにしても、自らの表現者としての自覚と自立と次世代への受け継ぎを使命とし、その喜びに満ちているものである。しかし、現状はより厳しい。私たち以外にも、多くのプロやアマチュアがこれらの活動を必死に支えてはいるが、マスメディアを含めて多くの注目を浴びることはまずないし、行政の支援はないに等しい。会場費の値上がりも私たちの活動の足かせになっている。

 昨年4月、私たちはロッチュ氏を迎えての『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』連続演奏会、東欧からオンドレイ・レナルト氏を迎えて、9月のドヴォルザーク没後100年記念コンサートシリーズ、12月には『メサイア』『第9』をウィーンからの指揮者 ヴォルフディーター・マウラー氏を迎え、画期的な成功をおさめた。また東京都交響楽団とのマーラー『千人の交響曲』ではガリー・ベルティーニ氏指揮のもと、子供たちは連夜3公演に出演し、その役割を存分に果たえた。
 子どもたちの演奏作品については、子供たちが歌い続けてきた作品をまとめた『こどもたちのための交響歌』もほぼ3年の月日をかけ、何度も試演を重ねて完成したし、不朽の名作といわれ社会性をも持った『チコタン』の演奏も多くの大人たちに感動を与えた。
また大人の合唱団もモーツァルト『レクイエム』、『メサイア』、『第9』は、これまで数百回を超える内外での演奏を通じて、自らを体現者として外人アーティストの力を借りずとも一定レベルで演奏できるようになったことも、「確信」にしておく必要がある。
それを総括すれば、これまで内外の優れた指揮者にめぐり合ったこともあり、回数を重ね、自発的な表現者としてステージを創ることに意欲的に取り組んできた結果である。
豊かな助成金に恵まれ一過性のコンサート活動に取り組んでいるグループも多々あるが、
私たちは継続的、発展的に、
1)子どもたちとオーケストラの一緒になるステージを創り、取り組んでいる。
2)音楽を通してアフガニスタンの子どもたちに車椅子を贈るベネフィットコンサートを継続している。
3)韓国、オーストリアをはじめとする海外の演奏団体とその国の人々を含む交流をぞれぞれの芸術家・文化人の協力を得て行ってきた。
 これらは私たち一人ひとりの参加費と一枚一枚のチケットが支えてきたものであり、今はまだ評価の対象になり得ていないが、近い将来 日本の音楽史の1ページとして注目されるに違いないだろう。

 今年度は、主体的力量をフルに稼動させながら、1回1回のコンサートを意義あるものとして成功させていかなければならない。
 その中心はオラトリオや宗教音楽の演奏、子どもたちとの共演を自らの中心的な使命とするオーケストラ<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>のより強固な発展とアマチュアオーケストラとの友好的な共演であろう。そしてそのためには、海外からの有能な理解ある指揮者の招聘を含めた多くの力ある人々との共演も必要だろう。また管弦楽曲と合唱曲のバランスが取れたプログラムを企画し、多彩な試みを重ね、常に安定した聴衆を確保すること、その活動の保証するのはNPO「おんがくの共同作業場」の正会員、賛助会員の拡大である。
 
 4月10日には昨年、台風直撃の日に演奏したモーツァルト『レクイエム』と『チコタン』(オーケストラ版)及びオーケストラの曲をとりまぜた名曲コンサートを、5月22日には久々にトーマス・ザンデルリンク氏を招き、スッペ『レクイエム』(東京初演)とブラームス『交響曲第1番』を演奏、8月7日には日本・中国・韓国からのソリスト、韓国、ドイツの合唱団員も加わり、ドイツの指揮者ホルスト・マイナルドゥス氏と共にブリテン『戦争レクイエム』が、平和へ限りない祈りと決意をこめて演奏される。また同時に、オラトリオ・シンフォニカJAPANはベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』、ドヴォルザーク『スターバト・マーテル』のコンサートにも参加する。10月にはオランダよりペーター・セルペンティ氏を迎えてブラームスの交響曲とブルックナーのミサ曲、邦人作品のコンサートを行う予定である。また来年3月には昨年のコンサートでより親密な関係をつくりあげることができたオンドレイ・レナルト氏を迎えてオラトリオ・シンフォニカJAPAN、新星合唱団、東京オラトリオ研究会によるブラームス『ドイツレクイエム』も決まっている。

 私たちの力はまだあまりにも小さく、その道は険しいが、現在の日本の音楽状況を見ると私たちの活動は日に日に必要とされている。


H 10月9日、新宿文化センター大ホールでのベネフィット・コンサートによせて    郡司 博  2004/9/20

毎日のニュースは、戦禍に苦しむ人々を映し出す。 わたしは想ってしまう。
アウシュビッツにユダヤ人を輸送した機関士たちは、ヒットラーの忠実な親衛隊でなかったかもしれないが、ユダヤ人たちがガス室に送られることを知りながら、まるで麻酔をかけられたように、その仕事を従順にこなしていったのであろう。我々も彼等と同じとはいえないまでも、人間が肉塊となることが何の感慨もなく日常化させられているのではなかろうか。もし、自分の肉親であったり、子どもであったりすれば、誰もが想像を絶する苦しみを受けることを知っているのに。

 昨年8月、私は八丈島の人々の招きで、島の絶壁に建つ故團伊玖磨氏の仕事部屋を訪れた。そこには洋々と広がる太平洋がどこまでも見え、机の上には彼が愛したパイプとペンと五線紙がその時を維持しながら、まだ、あった。彼は<自然を愛することは人間を愛すること、人間を愛することは音楽を愛すること>を心のなかに生き、そして友好に全霊をこめた中国で客死した。氏の日常が伝わる机を目前に、わたしはなぜかあふれる涙を止めることができなかった。

 ハイドンの『ミサ』は、キリスト教のミサには欠かすことのできない作品であり、これらを聴き歌うことによって、多くの人々の心は慰められ、勇気を与えられたのである。
 モーツァルトは自分の短い人生の終わりを直感したその瞬間、遺作『レクイエム』を書き、その美しい音楽を後世の人々に残した。
 このコンサートは全く違った歴史をもつ合唱団が3人の指導者のもと歩んできたその一片を著すものです。そして 小学生、高校生、老若男女が同じステージ上で輝く貴重なコンサートになるでしょう。まるで理想の社会のように。
 オーケストラは巨匠トーマス・ザンデルリンクが種を蒔き、多くのマエストロに鍛えられ、声楽作品を主なレパートリーとするオラトリオ・シンフォニカJAPANです。
 音楽をし、歌をうたえることが平和の証であるならば、それは平和への歩みにもならなければなりません。アフガニスタンの戦禍に苦しむ子供たちへの一台でも多い車椅子のプレゼントになればと思っています。


G 『受難曲』日本語上演について                    郡司 博  2004/4/23

 来年春、私の関係する合唱団は新曲の企画が重なります。3月にベルリオーズの大曲『レクイエム』の新宿文化センターの主催公演があり、5月にはスッペ『レクイエム』の本邦初演(東京ライエンコーア、土曜オラ研)。8月には第2次世界大戦終結60周年を記念して、また新星合唱団(創立30周年)、東京オラトリオ研究会(創立25周年)の共催によるブリテン『戦争レクイエム』をケルン歌劇場指揮者ホルスト・マイナルドゥスを迎えて演奏します。同プログラムにより5月にケルンでケルンフィルハーモニー合唱団との演奏も予定しております。

 今回のバッハの『マタイ』、『ヨハネ』2大受難曲は、有能な若いソリスト、また非常に意欲的な技術を持ったプレイヤーによる「オラトリオ・シンフォニカJAPAN」との共演で、疑いもなくこれまでロッチュ氏と築き上げてきた演奏会の中で最もレベルの高いものでした。これ以上のコンサートを実現するには、合唱団を小編成にして選抜するというこれまでにない形を考えなければならないし、それは私の意に添うことではありません。今までのような150人を超える受難曲の演奏など、バッハ音楽の崇拝者から見ればとんでもないことであり、ロッチュ氏も始めのころは全く考えも及ばなかったことのようでした。しかし、私たちの力でバッハの演奏会を歌いつづけていくにはこのやり方しかありません。ロッチュ氏の豊かな音楽性と、その溢れんばかりの人間性は多くの人を幸せな心で音楽させてくれ、その独特の雰囲気は誰もが認めていることでもあります。そして、たくさん学ぶこともありました。

 これまでロッチュ氏を含め8人の指揮者を外国から招聘しマタイ、ヨハネ受難曲を演奏し、2000年3月にはケルンでケルンフィルハーモニー合唱団と、そして2002年3月にはベルリンでカメラータ・ヴォカーレ・ベルリンとマタイ受難曲を共演し、それぞれ成果のあるコンサートができ、それらの経験の上にロッチュ氏とのプロジェクトは成功したのだと考えられます。ロッチュ氏は長期間の滞日生活を快諾し、また音楽的なシステムにおいても日本に招聘する上で最も問題の少ない指揮者であり、合唱団に多くの根強いファンもいます。また、ロッチュ氏をよんで欲しいという希望が多く寄せられています。しかし、残念なことに今回の3回のコンサートとも(昨年もそうでしたが)非常に空席が目立ち、現実の厳しさを見せつけられた思いです。また前日になってチケットの大量返券があり、そのなかには公演についての無理解からか強引にその場で返金を求めるなどの団員もいました。一人の外来アーティストをよぶには、出演料以外に 80万円〜100万円の基礎基金が必要です。今回は3回のコンサートとも別個の合唱団が主催し、経費を3等分することができました。

 またNPO「おんがくの共同作業場」がロッチュ氏のホテル代を負担するなどの協力を得ても、マタイで100万円、ヨハネでは80万円近い赤字が出ています。団員のチケット販売の苦労が恒常化し、入場料を全席2000円と超低価格に設定しましたが、そのことが《コンサートの質も低い》ものとの誤解も与えてしまい、参加率がさがったのも事実でした。新宿文化センターの文化団体が会場を使用する場合、入場料が2000円を超えてはならないという割引規定があり、値上がりが続く公共施設使用料金への抗議を含めての値段設定でした。マタイでは空席が1800席のうち350、ヨハネでは400ありました。又入金数の300余がソリストとカンマーザールの努力によるもので、平均値でいえば集客の目標に達した団員は一人もいないのが現実です。この厳しさと矛盾をどう解決するのか。これは私と皆さんの大きな課題だと考えています。NPO法人『おんがくの共同作業場』を立ち上げたのも、これらを継続的に解決していく力をつくるためであり、自治体やホール、オーケストラのスポンサーを持たない合唱団の課題だと考えています。

 コンサート活動、また合唱団の練習でも同じですが、一番の問題はマンネリ化です。今後のロッチュ氏によるマタイ、ヨハネで集客面での目標を達することができる責任分担の保障は今のところありません。また来年はスケジュールや会場の都合で1回しかコンサートができない中で、無理にロッチュ氏を招聘して同じ企画をするとしたら、参加者の負担は今までの数倍になることも確実です。年金生活者も少なからず抱える合唱団活動のあり方としてこれは困難なことです。いずれにしろ財政確保の見通しの立たぬまま1回のコンサートのために、外国から指揮者を招聘することはどなたかの保障がなければ不可能です。

 私の指導する合唱団は合唱を楽しみながらも研究し、さまざまな形にトライできる合唱団でありたいと思っています。私達がはじめて字幕を作った時も周りは異端の目で見ましたが、それを続けていく内に字幕を使うことが当たり前になりました。日本語マタイの上演については、合唱団員の努力の成果で、「ドイツ語マタイ」に対する思い入れは強く、スタッフの中にも疑問視する方がおりますし、我が家のお上も呆れ顔の状態です。日本人でありながらクラシック音楽を日本語で歌う技術が足りないために(伝統的な能や狂言から学びきれず)、オペラを含め成功例は少なく、日本語の表現力が、流行歌手やポップス歌手よりも遥かに劣っているのが現状です。これが、今回の私の提案に周囲の賛同を容易に得ることができない原因ともなっています。

 先日の劇的要素を持ったヨハネ受難曲の演奏会を聴いて、まず、マタイよりヨハネこそ日本語にする価値があるのでは、と感じました。その理由として、@曲が短いAエヴァンゲリスト、イエス、ピラトの役割が大きいBセリフとして理解できる部分が多く、キリスト受難の筋書き、要点理解が可能Cコラールの数も少ないDより理性的、神学的、研究対象としてヨハネからマタイをみる方が全体理解が深まるのではないか、などということが挙げられます。
受難曲すべてを日本語で演奏するのではなく、アリアとメインの合唱曲はドイツ語で、コラールと聖書の部分は日本語歌詞で歌い、字幕も併用することを考えています。


F来年4月「マタイ受難曲」日本語上演についての迷いながらの提案   郡司  博  2004/3/12

 これまで10数年、バッハの受難曲を、主にドイツ語圏の指揮者を招き(その間、一昨年には茂木大輔氏が指揮)、10数回演奏してきました。本年もロッチュ氏を招き、「マタイ受難曲」「ヨハネの受難曲」のコンサートを準備している最中です。
 来年も、4月に東京芸術劇場において、「マタイ受難曲」の演奏会を予定しておりますが、他のコンサートが企画できず、したがって1回のコンサートのために外人指揮者を招聘することが不可能であり、郡司指揮か、又は郡司以外の日本人指揮者で演奏することを考えています。郡司指揮で行う場合、これまでのEvangelistの日本語ナレーションではなく、音楽の部分は基本的に変えず、詩を日本語に改編して、演奏したらどうかという意見が寄せられています。
 この案を何人かの方に相談したところ、反対意見もある一方、積極的なご意見が寄せられていますが、もし、日本語による上演をするならば、幾多の問題点を抱えていることも事実です。これまで出版されている日本語による楽譜は直訳型のものが多く、ドイツ語に日本語を当てはめただけで、ホールで日本語として聴く場合に理解しにくく、不自然なことも否めません。
 Picanderの原詩によるAus LiebeやKomm,susses Kreuzのように日本語として訳して、バッハのメロディに付けることが非常に難しいと思われる作品もあります。コラールは、直訳型ではなく、<日本語としてのエネルギー>を包含させた意訳にかえる必要があると思われます。
 また、Evangelistが語るRecitativoの部分は、可能な限り新約聖書マタイ受難伝を踏襲すべきであると考えていますが、篠遠 喜人氏の編纂による口語体による新約聖書版もあり、それらを研究してみる必要もあると思います。
 いずれにせよ、@バッハの音楽 A新約聖書 BPicanderによる原詩が<生きた日本語>と、どう結びつくのか、その方向を模索したいと考えています。将来的なことを考えると、この作品をドイツ語で歌ってきた人たちが、日本語で歌うことによって、そのテキストの内容を深めることはドイツ語に戻ったときに役立つのではないか、この試みが成功すれば、これから歌いたい人、聴く人にとって、また、この作品を広げるにあたり、大きな意味を持つのではないかと思われます。今まで小沢征爾を含め、何人かの合唱指揮者が挑戦していますが、まだ、その試みが評価の対象となり定着はしていません。多分それは、これまでのドイツ語による聞き慣れた(ドイツ語が理解できなくても)聴衆の評価を得てないからだと思います。有利な面として、合唱団の中にドイツ語のスペシャリスト/聖書の研究者/ドイツ語で何度も歌ってきた人たち、また、何よりもバッハの音楽を愛する人たちがいることであります。この試みへの提案に賛成・反対に関わりなく忌憚のないご意見をお寄せくださるようお願いします。


E 〜 バッハは世代をこえて 〜        郡司 博 2004/3/6

 300年近くの歳月が流れて、また今年も受難曲を中心とするバッハの演奏会が、目白押しに行われている。私たちが目標とする、毎年この時期にバッハの受難曲を演奏する試みも、今年で4年目となった。
 初めて『マタイ受難曲』の演奏会を聴いたのは、40年程前の高校生の時だった。又いつの頃だったか当時の国鉄(今のJR)ストライキで交通手段が全くない中、ガラガラのNHKホールでリリングの『ロ短調ミサ』を聴き、興奮覚めやらぬまま徒歩で家路についた事もある。ロッチュが日本にトーマス教会の子どもたちと来日して『マタイ受難曲』の名演を聴かせてくれた1980年代の初めには、毎年イースターの時期にヨーロッパの教会巡りをしながら受難曲の演奏会を聴きあさっていた。日本で聴いたロッチュの演奏が忘れられず、ライプツィヒのトーマス教会に出掛け、『ヨハネ受難曲』を聴いた事もある。
 そして、あの1990年東西ドイツの統一。その後数年ロッチュの名前を聞くことはなかった。後で聞いたが、東ドイツ時代の責任追及があったそうだ。ドイツから招聘した歌い手からロッチュの住所を聞き、彼を訪ね、こうして共同作業が始まったのだ。
 これまで多くのバッハの演奏会に接してきたが、それらの中で記憶に残り、体に染み付いているのは、決して名演といわれるものでもなく、スター歌手総出演による聴衆が沸くコンサートでもない。それは、真摯に、朴訥と生きる人々が、毎日自然に祈りを捧げる単純な行為の延長線にあるものだった。
 昨今、クラシック音楽界のみならず、全てが派手な展開をしている。なぜ、バッハはどんな世でも歌い継がれていかなければならないのか、私たちはその意味を真剣に考える時に来ていると思う。
 1997年4月、ロッチュが私たちの招聘に応え日本に来たその日、成田から直行した『ロ短調ミサ』の合唱リハーサルで、喜びに満ちた初老の人の音楽をする美しい姿にバッハの心を垣間見たのは、私だけではなかった。


D 2003年を顧みて NPO法人 おんがくの共同作業場   対談:代表理事 郡司 博  と 事務局長 島原 浩
島原: 設立して早1年半過ぎて、“おんがくの共同作業場はひとつ一つのコンサートを後ろで支える組織です”と自信をもって紹介できるようになりました。これから新しい流れを生み出していけるような感じがしますがどうでしょう?

郡司: ご都合で退会なさった方もおられますが、会員数は増え続けており、今の硬直した社会の中での草の根的なNPOの役割は益々重視されてきています。また、若者や内外のアーティストと共演する中で、私たちの視野が世代を超えて日本だけでなく世界に広がってきたこともあると思います。

島原: 年末恒例の第9、メサイアに次いで、ロッチュ先生の暖かい指揮でバッハのマタイ、ヨハネ受難曲の演奏会が毎春、復活祭の時期に開かれる喜び、それも安いチケット代で実現できるようになったのは、このNPOに入会頂いた会員のおかげでしょう。

郡司: それは全くそうで、今年の4月には3,000人を超える人達に、実に上質のバッハを聴いて頂きましたし、今大活躍の望月哲也さんのエヴァンゲリストの誕生に立ち会えたことも幸せでした。6月のプーランク『スターバトマーテル』、『グローリア』で圧倒的に聴衆を魅了した小渡恵利子さんのソプラノも見事でした。
 また、9月に行なわれた東京アマデウス管弦楽団の『魔弾の射手』による定期演奏会に際し、若い歌い手への門戸を開く<ソリストオーディション>を『おんがくの共同作業場』として受け持たせていただきましたが、有能なソリストを発掘し、聴衆からも絶賛をうけました。
 さらに、正会員の新進音楽家である山神健志さんはシューベルトのEs-durミサを指揮し、合唱団員からの熱い信頼を得ましたし、同じく正会員の合唱指揮者・近藤直子さんはこれまでの経験を1冊の本にまとめ出版しました。

島原: これまでのプロ・オケ依存の習慣を超えて、アマチュア・オーケストラとの共演も新しい発見になりました。お客さまの層も広がり、本業に色々な仕事を持つ者同士がステージにのり、期待以上の感動を生み出す経験もこれまた新しい共同作業でした。

郡司: 先日の読売新聞に池辺晋一郎さんが書いていましたが、アマチュアの演奏にはプロにはない長い期間積み上げて練習してきた感動があるということだと思います。レベルもものすごく高いし、そのことに確信をもっています。
日本のプロフェッショナルが外国から来る一流演奏家と比較され、その存在をも問われはじめている今、アマチュア同志の共演は、これまでクラシックコンサートのステージにありがちな、よそよそしさや冷たさは全くなく、聴衆との一体感をも作り出し、その存在感を示しています。

島原: オーケストラとうたうこども合唱団、東京荒川少年少女合唱隊の子どもたちの成長ぶりは頼もしいですね。

郡司: 12月14日のコンサートには130人を超えるこどもたちがステージにのり、満場の聴衆から大きな拍手をうけていました。年齢、学校も違うこどもたちが、それぞれに役割を果たし、若いスタッフも情熱的に指導しています。私など子供たちから人間の生きる力を学ばされています。
島原: つい先日、昨年4月の<ベネフィットコンサート>の寄付金で造られた車イスにのったアフガンの明るい子ども達100人の写真が送られてきました。これは志をひとつにする日本、タイ、アフガンのNGOによる連携作業の賜物です。

郡司: 第2回、11月2日のヴェルディの『レクイエム』演奏会での寄付金合計は1,933,365円となりましたので、今年もまたアフガンの子ども達に車イスを届けることができます。すでに車イスを待っている子供たちの名簿も届いています。また、来年末には第3回が予定されています。今後の報告はホームページにて紹介しますので、ぜひご覧ください。

島原: 先月、「長崎の教会群を世界遺産にする運動」の主催する写真展に出かけました。世界遺産に申請する是非はさておき、西欧の大聖堂とは対照的に、鄙びた地に現存するたくさんの洋風建築。村の信者のささやかな浄財により日本の匠の技と信者の勤労奉仕で作り上げられた小さな天主堂が日本の西の涯に散在しているのには感動しました。私たちもお膝元の宝を一度勉強しておきたいですね。

郡司: 隠れキリシタンを題材とした、5月の大島ミチルさん作曲『おらしょ』の新日本フィルとの共演も印象的でしたが、近い将来、長崎の天主堂めぐり、地元合唱団との共演コンサートを計画しようなどと話し合っています。

島原: 私達のNPO活動については来日指揮者、ロッチュ氏(独)、リンク氏(米)、秋應雲氏(韓)にもご賛同を頂きましたが、特にマイナルドゥス氏は高齢化する合唱人口という世界共通の悩みのなかで模索する、我々の地道で広範囲な活動を高く評価し、応援のエールをくださいました。

郡司: これからやりたいことばかりです。今は音楽愛好家ばかりでなく、すべての人たちが対象です。お正月の2日には合唱団の若者たちと、小平市全戸にメサイアのチラシ配布を計画しています。

島原: 2004年はドヴォルザーク没後100年。この5回の記念コンサート・シリーズを芸術文化振興会に「アマチュアの文化活動」として助成金の申請をしましたが、これもNPO法人になった効用の一つです。コンサートをつくりあげるまでの裏方のいろいろな仕事を分担して下さる音楽ボランテイアも増えてきました。

郡司: 2004年4月のロッチュ・バッハフェスティバルには、これまでのオーケストラとの経験と実績の反省の上に立ってオーケストラつき合唱作品をプロフェッショナルとして真摯に演奏活動に取り組もうと<オラトリオ・シンフォニカJAPAN>が新たに出発します。海外でも活躍している奏者からも参加したいという問い合わせもいただいており、ぜひ期待をしてください。
これらの活動を通じて次の世代へ伝えていく基盤が少しずつ動き始めているのは楽しいことだと思います。


C 團伊玖磨記念 八丈島サマーコンサート
  2003年8月3(日) 14:00、 19:30  合 唱:合唱団「パイプのけむり」  
主 催:八丈町(教育委員会)

8月2日、私は、灼熱の太陽が照りつけるかつての流刑の地 八丈島の、太平洋に面した岸壁の上に建つ作曲家 故團伊玖磨氏の仕事場にいた。300坪ほどの石畳敷きの庭では、地元 樫立地区の人々が翌日に控えた<團伊玖磨記念八丈島サマーコンサート>に出演する私たちを歓迎するための前夜祭を準備していた(この夜出された料理は、すべて手作りのもの。その美味しさは未だ忘れ難く、文章で表現しきれないのが残念である)。私の家にある机より一回り小さめであろうか、氏が愛用した机の上に5線紙と原稿用紙とパイプが、今までそこに主が居たように置かれている。そしてその机に対置するようにパイプオルガンが置かれ、彼の愛した書籍とともに作曲した作品が整然と本棚に収められている。木下順二原作によるオペラ『夕鶴』は、音楽史に残ることは言うまでもないが、作曲者の存命中に600回も演奏されたなど、モーツァルトやプッチーニですら成しえなかったことではないかと改めて驚嘆する。
同時代の作曲家で多くの人から親しまれた中田喜直の流れるような美しさや可憐さに比べると、團伊玖磨のメロディーはどこか節くれだって無骨さを感じるが、その素朴で暖かい響きは氏独特のものに思える。同じ島人としての近所つき合いは、今では島の人々にとって誇りにもなっていることだ。庭で準備している人々の自然なにこやかさにそれを見ることができる。
翌日の2回にわたるコンサートは、警視庁音楽隊の隊長をつとめた牟田久壽氏の情熱と、わがNPOの理事でもある女医の北村蓉子氏の助力で実現したものである。   (郡司 博)


B 私 の 3 5 年    合唱指揮者 郡司 博

つい先日、偶然に田中信昭氏による二期会合唱団の練習を見る機会があった。なんと見事な指揮振りであろう。そして的確な助言は、いくら私が35年の合唱指揮生活を迎えようとも、その足元にも及ぶものではない。
20代の頃だったろう、まだ私には、合唱指揮者としての展望が見出せないとき、東京文化会館大ホールを満席にした田中信昭氏指揮による東京混声合唱団のコンサートを聴いたことがある。その感動は私の睡眠を奪い、田中信昭氏への迷惑な夜中の電話となってしまったことを覚えている。
田中氏の歳は私には不明である。多分戦後間もなくの芸大卒だから、私よりは20歳近く上に違いない。しかし、その新鮮な指揮振りと衰えを知らぬ風貌は、脅威とも思える。

私の35年は、全くといっていいほどプレイガイドで売れないチケットを合唱団員が1枚ずつ売り続け、次のコンサートへとつないだ35年間といえる。オーケストラつき合唱作品、オラトリオやミサ曲など、どう考えてもイベント性のないコンサートを数百回もやってこれたのは、彼らの力があったからである。
僕への反感をもって退団せざるを得なかった少なからぬ団員を含めて、多くの人々に感謝をささげるほかない。この間、日本人の多くの指揮者と共演し、世界的に活躍するマエストロとも共演する機会を得られたのは、自分の実力とは無関係にたいへん幸運なことであった。最近、自分より年下の若い音楽家たちと仕事をすることが多くなったが、今、その若い人々からの刺激を満喫している。

このコンサートを手始めに、来年1月には私の住む小平で韓国からチェ教授を迎えて『メサイア』、3月29日、4月20日には新宿文化センターにて、私の心に深く刻まれているハンス・ヨアヒム・ロッチュを迎えて『マタイ受難曲』、『ヨハネ受難曲』。そして6月15日には、東京芸術劇場でアメリカから朋友の奇才ジェフリー・リンクを迎えてプーランク『スターバト・マーテル』『グローリア』の演奏会を行う。また3月15日の、20年間にわたって合唱指導を続けた新宿文化センターの合唱団とのモーツァルト『レクイエム』コンサートでは、若手有望指揮者の下野竜也氏と共演することも楽しみである。4月にはノルウエーにてオスロ・フィルとミッシェル・プラッソン指揮によるベルリオーズ『レクイエム』公演にも参加する。
さらに、アマチュアオーケストラとの共演もいくつか予定されている。プロオーケストラにはない音楽への新鮮な意欲と感動が湧き出ている。
日本人作品のオーケストラつき合唱作品の演奏にも意欲を掻き立てられている。ピアノによる演奏のときと比べて、音色が多彩になり、クラシック音楽として世界に通用する普遍性すら充分に感じることができる。

これからも、プレイガイドで売切れてしまうようなコンサートは一生できないことだろう。またこれからも、合唱団員ひとりひとりにチケットを売ってもらわなければならない。その中間報告のコンサートが、この12月21日のコンサートである。ここには、ここ数年、指導している<かわいい子どもたち>も出演する。彼らから見ると、僕はどう見えるのだろうか、オニイさんなのか、オジさんなのか、それともオジイさんなのか。オーケストラは昨年生まれた若い世代の人たちによるザ・フィルハーモニカ・トウキョウ。彼らは、僕のもっている力を乗り越えて、聴衆に深い<至福>のときを与えてくれるに違いない。

ただ、今は、私にとって、音楽をすることが楽しく、充実している日々であることは確かである。
一人でも多くのお客様に聴いていただき、また、忌憚のないご高評をたまわりたい。酷評を受けるのを覚悟している。


A 抵抗、愛、そして平和

2003年6月15日(日) 東京芸術劇場大ホールに ジェフリー・リンク(指揮)、新日本フィルを迎えて
         フランシス・プーランク  1899-1963年  64歳没
         武満 徹          1930-1996年  66歳没

                 〜ともに第二次世界大戦及びその戦後の体現者〜

私の合唱指揮生活35周年の意味は、全くないにしても、この機会に自分のわがままを合唱団員にきいてもらい、これらの作品を取り上げることができたのは、合唱指揮者冥利につきます。

武満徹との出会いは 故山田一雄がまだ元気に活躍していた頃、新宿厚生年金ホールの楽屋で山田先生に紹介された時である。そのときのことは鮮明に私の記憶に残っている。武満徹の代表作といえばあのストラヴィンスキーが絶賛した『弦楽のためのレクイエム』であることは周知の事実だが、合唱に身を預けたものにとっては、谷川俊太郎の詩につけられた『死んだ男の残したものは』を私は第一にあげる。
このメロディの素朴な大衆性と、合唱曲としてつくられた音楽の現代性は、林光の『原爆小景"水をください"』や、間宮芳生の『こどものためのコンポジション』に決して劣らない程の普遍性を持っている。戦争には勝利者も敗者もなく、ただ愛する者を失った者の苦しみのみ残るだけなのだ。

プーランクは70年代後半に友人から勧められて、テープが擦り切れるほど聴いた作品だ。
彼はそれまでの音、いやまた音楽そのもののあり方をも問い直す試行錯誤を繰り返し、これらの作品を書き上げている。これらを歌うものにとってそれは至難の技ともいえるし、これまでの合唱人生からの新たなるアプローチとも言える。

この2人の作曲家に共通したものは、盲目的な愛や平和への祈りではなく、抵抗と、戦いの中から勝ち取られた確かな平和と愛への想いなのだと思う。

招聘する指揮者ジェフリー・リンクは現在活躍する中堅のアメリカ人指揮者で、すぐれた感性の持ち主である。音楽と現実を見つめる目は絶えず冷静であり、そして鍛えぬかれた聴覚をもっている。あの一昨年9月11日の同時多発テロのあと、アメリカ中が報復に狂気していたとき、彼は沈着冷静にその無謀さを憂えていた。
一昨日のニュースは米軍のイラク攻撃に反対するローマ法王の声明を報じている。ジェフリー・リンクは、この報道や、アメリカ国内や世界中のイラク攻撃を憂える声をどのように聞いているだろうか。このコンサートが愛と平和への呼びかけにつながればと思う。

今回のコンサートは新星合唱団と東京オラトリオ研究会、2つの合唱団の大いなる共同の作業として、何としても成功することを心から願っている。



@ オスロ公演より

 オスロ・フィルハーモニック・オーケストラの定期演奏会 ベルリオーズ 「レクイエム」

2003年 4月10日(木),11(金) 19:00 オスロ コンサートホール
指 揮:ミッシェル・プラッソン  合 唱:オスロ・フィルハーモニック・合唱団、東京オラトリオソサィアティ

@ 4/11 19:39 受信
第1日目コンサート終了、聴衆総立ち、参加した合唱団員は音の出の多少の不揃いに不満ちらほら。しかし、「北欧の音楽文化」を実体験出来たことは、現場に来ての最大の成果です。

A 4/11 22:54 受信
オスロに来て世界有数のオケと指揮者のもとで大曲を演奏するのを聴いてもバッハのマタイやヨハネの音楽の感動には及びもつかないことを改めて知りました。我々がやろうとしているこの時期のオーケストラ付き声楽作品は、より意識的で、これらの作品を愛するプレーヤーと、努力を惜しまぬ合唱団と、それを支えてくれる聴衆によって引き継がれ広げられてゆくのだと改めて思いました。

B 4/12 6:04 受信
2回目の本番終了。指揮者ミッシエル・ブラッソンの真骨頂。20年間ヤンソンスによって鍛え抜かれたオーケストラとその直属の合唱団が生み出す音楽は、この激しくドラマチックな音楽を心地よく聴かせてしまう。指揮者の精神をふと思わずにはいられないほどの緊張感がステージを覆う。しかし、そこには拘束されてない自由と明るさがひしめき合い自然な香りを放つ。