ボンの夏 公演      2001.8.22  旧市庁舎前 マルクト広場にて   →写真

 ドイツの夏はさほど暑くないと聞いてきたが、ボン近郊はドイツでももっとも暑い所らしく連日30度を超す暑さであった。8月22日に最初のコンサートが行われた。会場はライン河畔のホテルホリデー・インから歩いて10分足らずの市の中心にある旧市庁舎前のマルクト広場である。夕刻の集合時にはまだ野外ステージを設営中でライブのラジオ用ケーブルが張り巡らされているところであった。椅子は正面に約100席並べられ、両サイドのレストラン街にそれぞれ100席位あるので300席程度。舞台裏手の旧市庁舎で声出していきなり舞台に上がってリハーサルである。野外なのでリハーサル中も聞き手がいて拍手がくるので初めから緊張する。その割には郡司先生はいかにも楽しげにリラックスしている。舞台袖に市が発行している小冊子BONNER SOMMER2001を見つけたが、このコンサートのことが詳しく紹介されていてうれしくなる。

 コンサートは昨年ケルンでもおなじみのカレンさんが曲を解説し、オラ研の恒例の童謡シリーズで始められた。続いてこの旅の企画者ジョナサン氏がクロアチアから招いたソプラノ歌手亀井さんの情緒豊かな日本物、牧子先生のユニークな童謡メドレー、再び亀井さんの素敵なオペラアリアがあって最後はオラ研の武満で締めくくった。野外なので人通りもあり、酒を酌み交わしながらの聴衆も居て多少ざわめいたが立ち見客も大勢いて曲ごとに盛大な拍手を頂戴してとても気分の良いコンサートであった。 (テノール 田中俊郎)

 我々Bコースは8月21日午後1時、Aコースに1日遅れの英国航空で、台風に追われるように成田を出発し、ロンドン、フランクフルト経由でボンに到着しました。ホリデイ・イン・クラウン・プラザ・ホテルの窓からはライン川の彼方に沈もうとしている真紅の夕日が見えました。
翌22日は、朝から山海の珍味、特にハムやソーセージ、チーズ、各種のドイツパンなどのバイキングに目と口を楽しませました。昼間は自由時間だったので、ボンの町を探検し、マルクト広場でトマトを買い、ベートーベンの生家を見学し、まだ時間があったので中央駅から特急でケルンに行きました。片道23マルクで往復だと安くなるはずだったのですが46マルクでした。我々の英語が良く通じなかったのか、ドイツは計算通りなのか、頭をひねりながらケルンの大聖堂、ライン川を散策し、去年マタイを歌ったケルンフィルハーモニーのホールを訪れました。大聖堂前のカフェで軽い食事とケルンのビールで乾杯し、合唱団の仲間と常にもまして友情を深め、青空の下ライン川の水面(みなも)を吹き渡る風と明るい太陽の光を反射する花や樹木に心が晴れ晴れする思いでした。

 午後8時からの公演のために市庁舎の前に作られた舞台前に、現地集合・現地解散が建前の我らの仲間たちが三々五々と集まり、ヨーロッパ公演でいつもお世話になるカレンさんもニコニコと出迎えてくださいました。小林牧子さんのピアノ伴奏、郡司先生の指揮、カレンさんの司会でプログラムは進行しました。先ず日本の歌の合唱(ずいずいずっころばし、ふるさと、もみじ、赤とんぼ、死んだ男の残したものは、小さな空)、次に小林牧子さんによる日本の歌のピアノソロ用編曲(証城寺の狸囃子、七つの子、青い目の人形・赤い靴、待ちぼうけ、かなりや)そして亀井真由美さんのソプラノソロ(さくら横町,この道、宵待草、ひぐらし、落葉松、オペラのアリア)でした。舞台前に並べられた椅子は満席で、右手横にあるカフェの人たち、足を止めた通りすがりの人々など全部で300人ほどの人たちが最後まで楽しんで惜しみない拍手を送ってくれました。フラッシュがひかり、まさにお祭りでしたね。女性の服装は持っている中で一番華やかなものにしてください、とのことで、ショッキングピンクや真っ赤なブラウスなどみんな自分のお気に入りを身につけました。男性は黒服、先生は白い上着に黒蝶ネクタイ、牧子さんは真っ赤なイブニングドレス、亀井さんは黒地に銀の花びらを散らしたイブニングドレスでした。   (ソプラノ 川本 雅子)