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1997年ザルツブルグ公演報告1997年8月21日

私たちが着いた8月のザルツブルグは好天気に恵まれ、世界中から集まった観光客で旧市街地は人、人、人で湧き上がっていた。そんな中、8月9日私たちは翌日の日曜日の聖母マリア被昇天祭のミサ(1年間を通してクリスマスイヴに次ぐ重要なミサ)に参加するために大聖堂の巨大なパイプオルガンの前に備えられている聖歌隊席に集合した。当日、大聖堂を満席にうめ尽くした各地からの信者が集う中、オルガンの演奏につづき司教の説教が始まり、我等が郡司先生の指揮によるハイドン『テレーゼミサ』が演奏された。それは数百年も前から繰り返されてきた伝統と威厳のあるミサであり、そこに日本人が演奏者として参加することは全く稀なことであったであろう。ミサは延々1時間半に及び、『テレーゼミサ』の終曲ののちオルガンの独奏によって締めくくられた。この有様とそこに参加できた感動を言葉で表現することは不可能である。ミサ終了後、同大聖堂音楽監督であるツィフラ氏や、その音楽仲間達が集まってくれて、かつてない音楽性に満ちたミサであったことを感激深げに語っていたのが印象的だった。日本からの合唱団70名、大聖堂合唱団40名、それにモーツァルテウムのメンバーによって構成される大聖堂オーケストラによるものだった。 そしてこのミサには4月に来日したロッチュ氏も夫妻で参加され、コーラスのすばらしさを絶賛してくれた。
翌日はドイツ・ミュンスター大学の合唱団70名、日本側90名、大聖堂合唱団70名、計230名という大編成で、ツィフラ氏の指揮でモーツァルト『レクイエム』を演奏した。入場料が2500円位であるにもかかわらず席は満席となり、ツィフラ氏の少し速めながらも要所要所をきちんと印象づけるメリハリのある演奏に聴衆はひきつけられていった。終わってから居酒屋シュティーゲル・ケラーでの大パーティは大所帯のため、テーブルごとの交流が中心となったが、最後に大聖堂司教の感謝と新しい経験の喜び  特に日本人の合唱、日本人の指揮者でのミサができたこと  、ツィフラ氏からは長年の東京オラトリオ・ソサイアティとザルツブルグ大聖堂との交流をこれからも続けていこうという決意、ドイツミュンスター大学合唱団のもう70才を越えるヘルマ・クラム女史による偶然にも今回共に演奏できたことの喜びが語られた。そして郡司先生が、各々違う文化をもつ者が共同で一つの文化的創造作業をすることの歴史的意義ーそれが平和に繋がるーを強調したとき、拍手は一段と高まった。そして草間団長の感謝と感激の言葉が静かにしかも熱く語られた。

今回の参加者は日本側全部で130名となった。現地で全員が会したのは練習とコンサートのある4日間のみで、それぞれが自由に行動 するという試みは今回も大成功した。何一つ事故もなく、自分の行動に自覚を持って参加できたことは演奏が成功したという喜びと共に、参加者の自発性の高さの証としてうれしく感じられた。
又、日本の合唱団、ザルツブルグの合唱団、ドイツの合唱団という3ヶ国の合唱団の共同演奏であっただけでなく、日本の合唱団には韓国、イスラエル、ドイツ、中国、またドイツの合唱団の中にはハンガリー、フランス、イギリスからのメンバーも含まれ、まさしく国際的な文化行動として大きな体験をすることができた。1990年の第2回日本・ドイツコーラスフェスティバルにハンブルグからの合唱団員として参加し、日本の家庭にホームステイした当時中学生だった女の子が、今回偶然にもミュンスター大学の合唱団員として参加し、郡司先生と感激の再会をしたことは、長年海外との交流を深め、発展させてきた私たちの活動の心熱くなる一場面でもあった。


追伸
まさにザルツブルグは音楽に満ち溢れた街だった。特筆すればモーツァルテウムではザルツブルグ・バッハコーアによる『テレーゼミサ』、『ネルソンミサ』のハイレベルで圧倒的な演奏が聴衆を興奮のるつぼに巻き込み、コレギエン教会のロッチュ指揮によるモーツァルト『レクイエム』は淡々とした中にも深い味わいが教会全体をつつみ、その作品の持っている本質を聴衆に深く刻みつけた。 毎年のザルツブルグ音楽祭が世界への音楽の発信基地だとすれば、いつか日本でもこれらの宗教曲が人々の生活と一体となって演奏される日が決して遠くないことを印象づけた。

(K)

フォトアルバム(オーストリア在住 関口氏よりご提供)




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